→NOT ODAYAKA!

おだやかじゃなかった備忘録

『レッドタートル ある島の物語』三様の生を示し、未来へと繋げる物語

 

『レッドタートル ある島の物語』を観賞しました。

予備知識なしで観たので、先入観のない自分なりの考察をまとめてみたいと思います。

ネタバレを含むので避けたい方はお戻り下さい。

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ある孤島にひとりの男が漂流した。

男はとりあえず資源を食いつぶしながら生を繋ぐが、とにかく逃げ出したいという思いからイカダを作り脱出を図る。

しかし、何度脱出を図るも何らか自然の力によって阻害され、それがレッドタートルの仕業だと知る。

男はある日レッドタートルが孤島の浜を這っているのを発見するとこれまでの恨みの元殺してしまう。

ここが転機となる。

 

イカダでの脱出が阻害されていたのは、男にとってのそれは現実逃避でしかなく明確な生きる意思の元行われたものでなかったから自然が許さなかった。

それに気付かない男はレッドタートル殺しの罪を背負うがその命の重さに気づいた時発狂し、レッドタートルは人間の女へと変化する。

女の姿へと変化したレッドタートルは男が自然を敬うにつれ距離を縮め、自然を受け容れここに生きるのを決めた時はじめて手を取り合う。

やがて産まれた息子は人間と自然(亀)の子供。なのでお互いの性質を持ち合わせている。

自然を敬いながらも人間の知識を使い豊かに暮らしていく家族。

 

しかし自然は受け容れるかに関わらず破壊と再生を繰り返すもの。島を襲った津波によって築き上げたものは簡単に壊されてしまう。 

壊されたものは大きいが生きていれば少しづつ再生をさせる事も出来る。家族は少しづつ元の生活を取り戻していく。

 そんな折息子は昔漂流してきた空き瓶(文明の象徴)への想いが募っていき孤島から出ていくことを決意する。

この息子の意思を自然は受け容れ外界へ旅立っていく。

 

年老いた男は孤島で人間としての生を終える。

それを見届けた女は自然へと還っていく……

 

 

 

人間(男)、人間と自然のハイブリット、まだ何者でもない(息子)、自然・亀(女)

三様の生を示した上で外界へ旅立った息子が何者になり何をもたらすのか、未来への希望に満ちた物語だと私は受け止めました。

 

何故この作品が日本で、ジブリで作られたかといえばやはり3.11があったからでしょう。

この様に前向きな生を示してくれる映画が大好きですし『レッドタートル』は素晴らしい作品だと思います。

 

しかし無粋なことをいえば、このようにストイックな作品はエンタメ的な面白さに欠けますし興行収入も振るわないでしょう。

私も人に薦められる作品かといわれれば首を捻ってしまいますし、それが少し残念ですね。