→NOT ODAYAKA!

おだやかじゃなかった備忘録

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 〜作品が自分の一部になるということ

予告編になんとなく惹かれ見たケネス・ロナーガン監督作品『マンチェスター・バイ・ザ・シー』があまりにも素晴らしく、触れてから数週間経ったにも関わらず余韻が強いのでここでひとつ自分のためにまとめてみる。

核心に迫るネタバレはなしで個人的な見解を述べていく。

 

(すごく簡単なあらすじ)

ボストン郊外に住む主人公(リー)は兄の死をきっかけに故郷のマンチェスターバイザシ―(アメリカ東海岸の町)に戻り兄の息子(パトリック)や周囲との関係性の中に自分自身そして過去にこの町で起きた因縁と向き合っていく……

 

あらすじの通り地味で静かな話だ。

映画的な語り口は一切なくカメラは主人公リーをとりまく状況をただ傍観する様に静かに映していくいくだけ。

自分は演出に関してあまり明るくないがそれでも文脈と映像で語るという作業が徹底されている、とても繊細な作品だと感じた。

リーの行く先々ごとに思いを馳せるように自然に挿入される回想の数々、リーの焦燥感が高まり視野が狭くなっている場面では主観視点に切り替わったり、食事場面でわかる心の距離、同じ意味合いの台詞でも人やシチュエーションでまったく違った意味が生じるユーモア等々きめ細かい。

特に印象的なのが上手下手(左右)の使い方でリーが故郷で経験した因縁が起きた日の回想で事件が起こるまでは横から平面的なアングルで撮り続けているが、いよいよ決定的な場面に遭遇したとき映像は忽ち立体的となりリーは奥に進んでいく。そしてその現実のあまりの痛みにただ茫然と立ち尽くしその深淵に取り残されてしまうのだ…

パトリックとの交流や周囲との関係、全てが繊細な感情に包まれていて派手な物語性は殆どなくとても重たい話だが、この作品でしか伝えられない美しさがあった。

特に最後の2シーンのリーとパトリックの画にこの映画の意味が詰まっているといっても過言ではないと思う。画が語るとはああいうこと。

 

パンフレットの監督のインタビューを読むに、キャラクターに寄り添った脚本作りを強く意識されているのがわかる。

「気に入ったアイデアがあったらキャラクターの置かれた状況を考える。そして、そのキャラクターの状況からその周囲に向かって、物語世界を構築していく。」

*1

 

監督が取り扱っているのは物語というよりキャラクターそのものだ。

キャラクターの"在り方"や"生きざま"がそのまま物語となる。

僕は映画を見るようになってまだ浅いので最近の作品しか挙げられないが、『聲の形』や『ムーンライト』、グザヴィエ・ドラン作品のようにキャラクター自身とその繊細な感情や文脈を取り扱った作品にこそ強い感銘を受けている。

本作を見るまで今年のナンバーワンに推していた『SING/シング』で一番好きな場面は所謂  "洗車"のシーンで、あれは言葉やドラマチックな展開ではなく主人公のひたむきな生きざまそのものが友人のニートを突き動かすだけの力になった。

監督を絶大に信頼できると思う大きな点がもう一つ、彼の映画に対するスタンスだ。

「映画作りで僕が好きなのは、僕自身のプライベートな想像力のもと生まれた物語が、他人の感情の所有物となるというプロセスだ。(中略)僕の愛する映画が、僕の一部になったように。」

*2

いや、もうほんと信頼というか創作に対するスタンスとして完璧過ぎて…

少なくとも本作や上に挙げた作品たちをこれからも愛していきたいと思ってるし、今このようにブログに思いを書き綴っていることこそ作品を自分の一部にしていくための一つの作業になっているんだと思う。

 

ミニシアター中心の映画だけど是非各々がこの作品を見届けそれぞれの大切な一部になったらいいなと思う。 

 

 

*1:ケネス・ロナーガン・劇場パンフレット

*2:ケネス・ロナーガン・劇場パンフレット