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おだやかじゃなかった備忘録

おれたちのアイカツがすっかり変わってしまった…【アイカツプラネット!】

アイカツ新シリーズ発表会にて「アイカツプラネット!」が発表されましたが皆様におかれましては如何でしたでしょうか?

私としてはおれたちのアイカツもすっかり変わっちまったな…という感想です。

まず前提としてメインパートが実写になるそうです。私たちが好きだったこれまでのアニメのアイカツとはまったく違います。キャスト陣もこれまでのアイカツを支えたホリプロやディアステージからスターダスト中心に一新されました。筐体も一新されます。「芸能人はカードが命」という標語からも分かるようにアイカツシリーズはアイカツカードを中心に展開してきましたがこれまでのカードとの互換性は不明ですし、DCDであることは決定しているものの現発表段階でフューチャーされたのは「スイング」という新アイテムだけでありこれまでのアイカツカードを主軸とした展開から差別化が図られるみたいです。これも私たちが好きだったアイカツから違っています。

それらから分かるようにこれまでのシリーズで大切にされていた繋がり「SHINING LINE」を感じられず古参ファンを篩いに掛けるかのような新作発表でありました。

だからはっきりと言いましょう、これはおれたちが好きだったアイカツではないと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───だからこそ嬉しかったんだ。

 

実写ってアイカツか?

「アニメじゃないからアイカツではない」

「これ、アイカツか?」(紫吹キャプ)

言いたいことはよく分かる。今までの作画アニメとCGステージの融合のアイカツが好きだった人にとって突然メインパートは実写ですって言われても戸惑ってしまう。でもそれって私たちが好きだったアニメのアイカツとは違っているってだけの話だ。

「アニメじゃないからアイカツではない」ではなく、

「私が好きだったアイカツではない」だ。

ここを混同した主語の大きい人が散見されるので訂正しておきたかったしそもそも「アイカツ」って何なのだろうね。

確かに私たちはこれまでのアイカツシリーズの事はよく知っていて詳細に語ることが出来ますがこれからのアイカツについては知りません。

冒頭で「フフッヒ」って言わなかったら嫌だなみたいな意見に代表されるように伝統を重んじる事は悪いことではないと思いますが、もし本編冒頭の「フフッヒ」がなくなったとしても「これはアイカツではない」ではなく新しいアイカツに生まれ変わっていくというだけの話です。斧とか崖上りも一緒。白銀リリィがチェーンソーで伝統をぶった斬った時は本当に嬉しかったな。

 

 

「芸能人はカードが命」じゃなかったの?

これは上記とほとんど同じ話。これまでのアイカツアイカツカードを主軸に物語やゲームを展開して来たからといってこれからもそうであるとは限らない。そもそも主人公が芸能人に属するのかも設定的に怪しいし。

そもそも私たち大人は女児向けコンテンツを間借りさせてもらっているだけではじめからメインターゲットではありません。大前提としてアイカツシリーズというIPは女児に向けられたものです

女児向けDCD界はかつて『オシャレ魔女🖤ラブandベリー』が切り開いた畑を『プリティーシリーズ』が再開発していき、『アイカツ』が『プリキュア』に並ぶ女児コンテンツの中心にまで躍り出たという流れがあるかと思います。今でもずっと女児向けコンテンツのトップに君臨し続けるプリキュアと全盛期が2年しか続かなかったアイカツとの違いは何でしょうか。プリキュアはアニメ単体としてみても映画等で高い興行収入を上げられるし毎年リニューアルされる玩具も一定水準以上の収益を上げています。今になって思えばプリキュアは2017年にDCDの展開を終了していました。

それに引き換えアイカツはずっとDCD一極でやってきました。全盛期から少し時期を逃したとはいえ劇場版アイカツ!興行収入10億には全然届かなかったしDCD以外に売れる玩具を生み出すことが出来なかったしそもそもそういう展開をしてこなかった。DCD一極の展開を続けてきた事で女児向けDCDの流行の廃れと共に先細っていくことから逃れられなかったし、そのDCDにしても時世に合わせて新しい展開を生み出していくプリティーシリーズの後追いを続けるばかりで保守的でした。だからこそアイカツ公式Vtuberナナちゃんが登場した時はようやく時代の流れに追いついたかと思いましたがそれもまともに運用出来ず僅か一年で静かに活動終了。そんなことをやっている間にプリチャンではアバターを介して自宅からパフォーマンスするアイドルが登場して衝撃を受けたものです。

アイカツのDCDは先細りの未来しか見えなかったのは熱心な人ほど分かっていたけど保守的なアイカツ運営にそれを一新出来るほどの気概はないだろう、という予想が付いていたので昨今の女児の流行を盛り込んだ今回の発表は本当に驚いたしちゃんと女児に向けられた展開をしているのが分かったのが一番嬉しかったな。

確かにバンナムの新規IP発表の配信番組なんて熱心な大人しかみないのだからスタッフトーク中心に真面目にやるべきだろっていう意見もまっとうだとは思いますが、子供受けの良いフレーズ系の芸人を大量投入したりして子供に向けた面白い番組作りをしようとしていたバンナムの気概を私は支持したいですね。

正直アイカツカードこそコンテンツアイカツの根幹だと思っている人は少なくないと思うのでそういう人たちにとって辛い発表だったと思いますが、これからもアイカツカード一極の展開を続けて先細って行く姿を見続けるよりは大きな一手に打って出たアイカツの選択を私は信じたい。

 

「SHINING LINE」って何ですか?

アイカツのオタクを長く続けていているほど「SHINING LINE」の概念が分からなくなっていく感覚があります。皆の云う「SHINING LINE」って何?

そもそもアイカツの新シリーズが叩かれるというのはこれまでも毎回繰り返してきました。

アイカツスターズ !には『アイカツの優しい世界』がない。こんなのアイカツじゃない」

アイカツフレンズ!では歌唱担当制が廃止された。今まで大切に繋いできた『SHINING LINE』が途切れてしまった」

今回ほど極端な拒否反応ではなかったにせよ同じようなことは繰り返されてきた訳ですし、そもそも人それぞれアイカツの好きな部分や求めているものが違っていて当然で、アイカツスターズが優しい世界じゃないとか歌唱担当制が受け継がれなかった事を許せない人達がいるのは重々承知しているけど、やっぱりそういうのは述べてきた通り「あなたの好きなアイカツではなくなっただけでアイカツではない」とはならないんですよ。

「SHINING LINE」が神崎美月→星宮いちご→大空あかりなどへと受け継がれるアイドル物語系譜の繋がりだったりSTAR☆ANISからAIKATSU☆STARS! に受け継がれた文脈だったり、誰もがみて分かる大切な文脈がアイカツの「SHINING LINE」だってことは私にも分かりますがそれだけじゃないでしょ。歌唱担当の直接的な繋がりだけでなくアイカツフレンズ!主演の松永あかねや二宮ゆいがリアルタイムでアイカツをみて育った世代であったことや、特に熱心にアイカツをみていた逢来りんが憧れの神崎美月の曲をライブでカバーしたみたいな事こそ何事にもかえがたい「SHINING LINE」じゃないのって思います。

アイカツプラネットの主役に抜擢された伊達花彩さんも元々アイカツが大好きでアイドルのスカウトを受けたのはショッピングモールにアイカツ筐体をプレイしに行った時だと言うし財布の中にアイカツ学生証をお守りとして持ち歩いているそうです。それってすごく「SHINING LINE」じゃん。(伊達花彩さんが15歳だと聞いていよいよアイカツ直撃世代の時代がやってきたのかと震えています)

アイカツ」とか「SHINING LINE」の概念ってはっきりと分かる系譜みたいなものだけでなくもっともっと大きいものだと思います。個人的にアイカツの核をひとつ挙げるとしたらやっぱり「START DASH SENSATION」⇨「未来向きに生まれ変わり続けること」でしかないと思うしアイカツシリーズがそこから外れ、生まれ変わることをやめてしまった時はそのIPを掲げるなと私も怒るのでしょう。

アイカツスターズ!の現実的で厳しい世界観もアイカツフレンズ!での歌唱担当制廃止もコンテンツアイカツとして未来に向かって生まれ変わるために必要な措置だったと思いますし、もしその変化を受け入れられないのだとしたらコンテンツから離れるしかない。思い入れのあるコンテンツが自分の望む方向へ進まなかったとしたらそれはとても悲しいことだし虚しさあるいは憤りを抱いても仕方ないと思う。しかしだからといって配信時のコメント欄の荒れ方や公式垢へのクソリプ数など狂っていたし結局おれたちのアイカツみたいな肥大した自意識はそういう所にあるのだと思います。古参アイカツおじさんがおれたちのアイカツがどうこういってる間に虹野ゆめ歌唱担当の堀越せなちゃんが同日発表されたカミズモードやバンナムの新規大型IPの電音部に抜擢され声優になるという夢を、自分のアイカツを羽ばたかせています。

アイカツをリアルに直撃した世代が自分の人生をアイカツにするためにアイドルになったり声優になったりVtuberになって輝いていたりアイカツに影響を受けたクリエイターの作品が増えていく一方で、長年アイカツを支え続けた大人のオタクたちの歪な愛が老害化して新しく生まれ変わろうとしているものに唾を吐きかけているのはちょっと辛いものがある。

受け入れられないものを受け入れる必要は本当になくて、でも思い入れのあるコンテンツから離れるためには悲しくて苦しいけれど自分のためのコンテンツではなくなったことを認めなければならない。そこを認めることが出来ない限りその人は前に進めないと思うから。

アイカツが前に進む事を選んだようにそれを受け取った人々がそれぞれ次のEntranceを選ぶことこそが何よりのアイカツなのだから。