→NOT ODAYAKA!

おだやかじゃなかった備忘録

『宇宙よりも遠い場所』と青春モノの時間と距離に関する所感

 

f:id:odayakana:20180329171013p:image

 

淀んだ水が溜まっているそれが一気に流れて行くのが好きだった
決壊し解放され走り出す淀みの中で蓄えた力が爆発して

全てが動き出す

 STAGE1「青春しゃくまんえん」

 

 私的な感覚の話になるが、所謂青春モノと呼ばれる作品群が描こうとしているものって青春の終わり(区切り)についてなのだと思います。区切りをつけ何を選び何が残ったのか。自我のはっきりしない子供時代から人格の固まる(とされる)大人への転換期である青年期。何者でもないわたしが何者かに変容するための選択期間、モラトリアム。淀んだ、漠然としたエネルギーが動き出し絶対的な熱量に変わった後に残った残滓…

そういったものを青春だと呼びたいと思っています。

 青春がそういった何かを選択するという要素で成り立っているのなら、青春モノには物理的距離や精神的距離(時間)という要素が付随します。自分とあらゆる他人や世界との距離感を量り自分の位置を定める。ひとりひとり違う生き物であるという線引きを明確に定めはじめた時期が青春なんだと思います。

 

 青春の距離と時間を扱うこと長けた作品のひとつといえば『秒速5センチメートル』でしょう。

 子供には避けられない転校による物理的距離と精神的距離の乖離

 東京と栃木、遅延する時刻

 東京と石垣島、現実と空想

桜の花びらが落ちる速度、ロケットを輸送する速度

わたしとあなたが歩む人生の速度

 

個人的に「秒速」が好きだと思う理由は遠野貴樹は新海誠の自意識の表れであり空想的な世界を進み続けた貴樹と現実を進み続けた明里は最後に少し交わり離別するが、それこそクリエイターと非クリエイターとの乖離にあるんじゃないかという解釈に拠るものです。

このような青春と時間と距離というエッセンスは『時をかける少女』『君の名は。』『打ち上げ花火、下から見るか横から見るか』『さよならの朝に約束の花をかざろう』『涼宮ハルヒの消失』など青春モノの名作アニメに散見される。

(めちゃくちゃ個人的なチョイス、異論は認める)

もちろんタイムトラベルやループものが単純にシナリオとして面白くなりやすいというのは多分にあるが、現在過去未来を巡り世界の広さを知り自分の内面と対峙した上でどのような"今"を選ぶのかという命題は迷える青春時代との親和性が非常に高い。

 

宇宙よりも遠い場所 』でもっとも素晴らしいと思う点は題名から距離感に関わるものだと示されていた通り、ずっとあらゆる距離感について描き続けていたこと。

 

  • 玉木マリ

 漠然と抱いていた世界と自分との距離感、自分の青春は何処にあるのか?

 自分が動き出したことで親友?高橋めぐみとの間の絶対的な隔たりを知る

 母との距離

 南極という物理的な距離を埋めた彼女の最後の課題は母との精神的距離を埋められるかだった

  •  三宅日向

 「普通」の学生(人生設計)との距離

  •  白石結月

 「普通」の友達(または芸能人と一般人)との距離

 

 正直言うともっと爽やかで甘酸っぱい冒険モノに落ち着くかと思っていたが三宅日向、白石結月のような一般社会におけるイレギュラー(あえてそう呼びます)が登場してきたのが驚きだし、これほど"わたしとあなたが違うということ"に誠実な作品はないと思った。

 

普通とイレギュラーの対比がもっとも際立ったのはSTAGE11「ドラム缶でぶっ飛ばせ!」

三宅日向の旧友(語弊)がテレビの中継先に現れる。自分の道を進み南極まで来た日向と時間が止まったままの場所から過去を清算しようと目論む旧友達(語弊)

 イレギュラーでも進み続る人と立ち止まったままで何も変わらない人との対比

 そんな旧友へ報瀬から最高のパンチライン

 

 

f:id:odayakana:20180330081332p:image

 

日向はもうとっくに前を向いて もうとっくに歩き出しているから
私は日向と違って性格悪いからはっきり言う
あなたたちはそのままもやもやした気持ちを引きずって生きていきなよ
人を傷つけて苦しめたんだよ それが人を傷つけた代償だよ

私の友達を傷つけた代償だよ
今更なによ ざけんなよ

STAGE11「ドラム缶でぶっ飛ばせ!」

 「ざけんなよ」

 

 

そして物語はSTAGE12まで来たところで題名を回収しメインテーマである小淵沢報瀬の目的にフォーカスされる。

 

 

f:id:odayakana:20180330081528p:image

 

それはまるで夢のようで
あれ 醒めない 醒めないぞって思っていて
それがいつまでも続いて
まだ…続いている

 

わかってる 何のためにここまで来たんだって
でも…そこに着いたらもう先はない
もし行って何も変わらなかったら
一生いまの気持ちのままなんだって

STAGE12「宇宙よりも遠い場所

 覚めていても醒めない夢

 「あなたたちはそのままもやもやした気持ちを引きずって生きていきなよ」と言い放った報瀬こそ、もやもやを抱えながら生きていくことをもっともおそれていた事が分かった。

 "宇宙よりも遠い場所"とは報瀬と母、断絶した心の距離。この世の何処にも実在しない距離感であった。

 しかし、そのように誰も(他人が)足を踏み入れる事が出来ない領域へ報瀬を導いたのは他ならぬ報瀬自身。1483日南極と母に宛て紡ぎ続けたメール、歩み続けた自身の成果だった。

  

 

f:id:odayakana:20180330091124p:image

 f:id:odayakana:20180330091211p:image

STAGE12「宇宙よりも遠い場所

 (自分の成果で自分が報われる話が特に好きなのでボロ泣きしてしまった)

 "淀んだ水が溜まっているそれが一気に流れて行くのが好きだった"

 あのシーン、報瀬がどういう想いを抱いたのか真意は映像のみに委ねられるが水はいずれどこかに流れ着くわけで、それがあの場所だったというわけです。

 

 

人は一人で勝手に助かるだけ。誰かが誰かを助けることなどできない。

忍野メメ-「傾物語

周りの存在が影響を与えることは出来るが真に自分を変えられるのは自分の意思によってのみ。まさに金言ですね。

 

 

 当ブログはアイカツブログなので(そうなのか?)アイカツスターズ!において青春の時間と距離をドラマチックに表した「Summer Tears Diary」を引用する。

 

いつかは思い出のなかで

キミを探しても気づけない日が来て
すれ違う人の顔に少しずつぼやけちゃうのかな

オトナになれば 時間も距離もカンタンに越えられるのに
きっとそれには間に合わないの
なんて…、

のみ込むオモイが痛い

「Summer Tears Diary」

アイカツスターズ!ミュージックビデオ『Summer Tears Diary』をお届け♪ - YouTube

※引用は2番の歌詞なのでMVには入っていません

 

これは"9月になれば遠く離れて 違う制服を着てる"ティーンエイジャーの心情がモチーフの楽曲である。

 オトナなれば時間も距離も簡単に超えられるということは決してないが、そういうオトナを羨む気持ちや今はまだ間に合わないと"自覚"することこそ青春モノの根底にあるのだと思う。

 例えば上で挙げた『時をかける少女』『君の名は。』『打ち上げ花火、下から見るか横から見るか』『さよならの朝に約束の花をかざろう』『涼宮ハルヒの消失』はすべて、"今は間に合わない"ことを自覚するための物語であったといえると思う。

 オトナじゃないから経験も知識も財力も足りない、自分は何もかもを選びとることが出来ない、"今は間に合わない"と理解するオトナ未満の期間。これこそ青春モノのエッセンスだと思う。

 そしてだからこそ、

それらを踏まえた上で、"今"に間に合わせてしまった『宇宙よりも遠い場所』が大傑作なんだと言いたい。

 

 

f:id:odayakana:20180330103622p:image

f:id:odayakana:20180330103728p:image

 

旅に出てはじめて知ることがある
この景色がかけがえのないものだということ
自分が見ていなくても人も世界も変わっていくこと
何もない一日など存在しないということ
自分の家に匂いがあること
それを知るためにも 足を動かそう
知らない景色が見えるまで 足を動かし続けよう
何処まで行っても世界は広くて
新しい何かは必ず見つかるから
ちょっぴりこわいけどきっと出来る
だって
同じ想いの人はすぐ気づいてくれるから

STAGE13「きっとまた旅に出る」

 

 成果といえばお金の話も挙げておきたい。

  サブタイトルSTAGE1「青春しゃくまんえん」に示されていた様に、何かをするにはお金が必要でたとえば南極で青春するのに100万円必要だと言われた時子供ならおそらく諦める。だってまだ子供なので。

 しかし小淵沢報瀬は南極に行くためのお金も手段も情報も自力でこじ開けてきた。足を動かし続けてきた。だからこそ最高の仲間、最高の笑顔を見つけることが出来た。

 

 足を動かし続ける青春ということでテレビアニメ『氷菓』の話をする。

 『氷菓』の主人公折木奉太郎は「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」の省エネ主義がモットーであり、本稿が説明してきた”淀みの中で蓄えた力が爆発して全てが動き出す”ことや”足を動かし続ける”青春について真逆のスタンスの人物である。

 『氷菓』のエッセンスは「青春」と「ミステリ」にあるが、省エネ主義の折木奉太郎の役割は安楽椅子探偵場に赴くことなく事件を推理する探偵)であり先程説明した足を動かす青春とは真逆のスタンスを強調している。…にも関わらず結局他の登場人物に巻き込まれながら誰よりも足を動かし青春を謳歌させられてしまう物語構成となっている。

 アニメでの最終話「遠まわりする雛」はそのまま距離感に関する話であったしそれに続く原作単行本「ふたりの距離の概算」はもろに青春の時間と距離についての話となっている。

 ここまでの説明の通り、青春モノとは巡った時間と距離の分だけ大きなエモを生み出す物語構造となる(ことが多い)わけで、

やっぱり大好きで仕方ないというのが青春モノに対する個人的な所感である。

 

最後におれの青春であったアイカツスターズ!から引用の引用をする。

 

白銀リリィ

f:id:odayakana:20180330204520p:image

ゲーテは言いました

人が旅するのは到着するためではなく 旅するためであると


アイカツスターズ !第100話「まだ見ぬ未来へ☆」

 

 

 

 「ここから、ここから」

「きっとまた旅に出る」

 

そして次の曲がはじまるのです