→NOT ODAYAKA!

おだやかじゃなかった備忘録

WUGのセンター吉岡茉祐とWUG現場の異常さ

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - ~ PART Ⅲ KADODE ~愛知3公演でぶつけられたものを言語化しきるエネルギーを持ち合わせていないので、WUGのセンター吉岡茉祐さんとWUG現場(というよりPART Ⅲ KADODE )の異常さに絞って書きます。

 

 WUGのセンター吉岡茉祐さん

Wake Up, Girls!の絶対的センターであるまゆしぃこと吉岡茉祐さん(顔がいい歌が上手いダンスかっこいい)。

17日愛知昼は公演ごとに異なる日替わりプリンセスにまゆしぃが選ばれ「HIGAWARI PRINCESS」という楽曲をセンターで歌いました。曲前、吉岡茉祐さんをピックアップしたスライドショーが流れ各メンバーから吉岡さんへのコメントが紹介されます。吉岡さんのパーソナルな部分の可愛らしさや真面目さに触れると共に、ほとんどのメンバーがまゆしぃこそWUGの絶対的なセンターなんだということを強調していました。

メンバー中唯一芸能経験があったまゆしぃは業界初心者の他メンバーに比べ最初からパフォーマンス力で一つ抜けた存在だったみたいですし、性格的にも超負けず嫌いでセンターポジションへのこだわりは幾度も語られてきました。努力と経験を重ね、全メンバー初期とは別次元へと底上げされた現在のWake Up, Girls!においても総合力においてやはり一つ抜けている存在。センターになるべくしてなったんだと目撃した人誰もが認める存在が吉岡茉祐さんです。

繊細なWUG楽曲の特質性と相まって、各メンバーの声質も繊細で透明感溢れる人が多い中で、ひときわパワフルな歌声とダンスでパフォーマンスするのが彼女。でも彼女の魅力はどこまでもパワフルな「タチアガレ!」や「Beyond the Bottom」に留まらず、「言の葉 青葉」「雫の冠」などバラードやキャラソンでみせるどこまでも繊細な歌声や表情。

相反する二面性の化身みたいな魅力的な人です。

「HIGAWARI PRINCESS」の間奏ではその日のプリンセスからオリジナルの台詞が入ります。

例を挙げましょう、同日夜公演のプリンセスだった青山吉能さん。

「よぴよぴプリンセス〜よっぴ〜ぷりぷり〜ww」(芹澤感)

これにはメンバーも水色推しもズコーーー。

すまんがこれは駄目な例。でもそんなよしのが好き。

続いて昼公演吉岡茉祐さん、

「(ありえん可愛い)プリンセスもいいけどぉ⤴︎」

   (ありえんイケボ)プリンスもいいよね(微笑み)」

ほんとすごいのよ。演じ分けが。天才。

本人は可愛い系キャラを演じるのを極度に嫌がる故他メンバーからいじられてしまいますがマジで可愛いんだから仕方ない。

ライブ中誰よりも活き活きとした表情でオーディエンスを煽ったりはっちゃける(暴れる)まゆしぃは間違いなく舞台上を自分の生きる場所とする生粋の表現者であると同時に、誰よりも可愛らしい一面を備えているのがズルい、好き。

そんな中17日愛知昼公演の「Beyond the Bottom」は魂が震えた。

(夜公演BtBをベストに挙げる人も多くどちらも相当ヤバかったのですが個人的には昼です)

16日夜公演の時点でもまゆしぃの歌の気迫にボロボロに泣いてしまったんだけど17日はあらゆる面で異次元だった。

この曲の歌い出しはまゆしぃだけど歌い出し前時点でのオーラと一つ一つの動作が異常だった。何をみせられてるんだと思った。そして歌がはじまりあまりにも気迫を纏った歌声に感情が臨界点を越えて頭がおかしくなり只の感情になってしまった。こんなステージみたことなかった。

普段はよぴちゃん中心に他メンバーをみているんだけどこの演目の吉岡茉祐からまったく目が離せなかった。人間としてのパフォーマンスの究極、或いはそれ以上の何かをみせつけられた。

丁度21日アニメイト池袋にて行われた頂点ズ※のトークショーで「Beyond the Bottom」の話が挙がったそうです。

拝見させてもらったレポートにて、

BtBは人として歌ってない、魂になって歌ってる。メンバーが2人ずつ手を繋いで目を合わせた瞬間に人間に戻る。(永野)

i☆Risさんにもこの曲は人気があって歌いたいってずっと言ってたんだけど、この曲だけは譲りたくなくて、私達以外の色には染められたくないという意地が詰まった曲。(吉岡)

という本人達からありえん強い解釈が。

でもあのパフォーマンスをみせつけられたら間違いなく納得する。

作詞の彼は今でも「Beyond the Bottom」はWUGにとって書きすぎた歌詞、個人的な想いをのせすぎた歌詞だと考えているのかもしれないが、最早そうではなくなったと今の彼女達のパフォーマンスをみればわかる絶対に。そういう領域に達していた。

そんな鬼神の如きパフォーマンスを見せた吉岡茉祐さんですが、奥野香耶さんがまゆしぃの真っ直ぐな瞳が大好きと表現される様に、ステージから降りた素の彼女の控えめで実直な魅力がまた…

どこまでも真っ直ぐな歌声とどこまでも真っ直ぐな瞳。こんな人間が存在したんだと率直に思う。 

MEMORIAL衣装からアンコールでツアーTシャツ+アニサマスカートに着替えた時一番ギャップが出るのが彼女だと思います。(門出のための麗しいMEMORIAL衣装からTシャツに着替えた時全員どこか芋っぽい姿に戻るのも、やはりWUGの魅力だと思います)

汗だくでツアーTなどラフな装いになってる時の彼女はちびまる子ちゃんのような素朴な女の子に戻っているかのようだ。

とてつもない業を背負った「BtB」や「タチアガレ!」を経て、只の女の子に戻った彼女達が「Polaris」という彼女達自身の重さが詰まった曲を最後には笑顔で歌う姿が好きなんです。

この項は主に吉岡茉祐さんの二面性について書きましたが相反する二面性というものはWUGというグループ全体にも当てはまると思う。そして今、彼女達は最強のセンターと最強のグループになっている。

 

ワグナーとWUG現場の異常さ

舞台に上がる演者や舞台を作り上げるクリエイターサイドの人間と観客側(消費者サイド)の間には絶対的な断絶が存在する。

青山吉能がWUGとワグナーの関係はファンと演者の域を超えていると言ってくれるのを喜ばしく思うのはそうなんだけど、それを都合よく解釈してオタク側からワグナーとWUGの関係は特別だからな〜とイキるのは違う、と思う。超えちゃいけないラインだと思ってた。

ワグナーに限らず芸能人やスポーツ選手等の特別な訓練や技能を積み選ばれた人間と自分とを、さも同列に語りたがる一般人の肥大な自意識がグロくて無理だしワグナー界隈も必要以上にイキってる節があるんじゃねえかと思っていた。閉じコン(キツい表現でごめん)故の密度の濃い関係性はあったのだと思うけど、どこの現場でもピンチケの割合が違うというだけで文脈に合わせてステージやコンテンツを盛り立てていこうという集合意識は働いているもので、そこには精度の違いがあるだけだから。

それでも愛知公演で目撃したWUGとワグナーの関係性は異常だった──、というよりWUGからワグナーに向けられた信頼が異常だった。

まさか誰も愛知で披露されると思ってなかった「さようならのパレード」について、この曲を神前先生からいただいた時「後は君たちで完成させてくれ」と言われた。このタイミングで披露するのはワグナーさんとこの曲を作り上げたいから、との前振りがあった。

初披露の17日昼公演では観客はほぼ地蔵で見守ることしか出来なかった。しかし夜公演では曲中のある演出に対して拍手が起こったり最後の歌詞カードには乗らないフレーズを奥野香耶さんが一緒に!と背中を押してくれることによって合唱することが出来た。楽曲世界観のベースの様なものがすでに愛知夜公演の時点で作り上げられていた。

多くが予想していたツアーファイナルの仙台からの披露だったら多分オタクはそれぞれ受け止めるのが精一杯のお気持ちになったままSSAに向かっていた可能性が高いが、WUGからワグナーへステージを一緒に作り上げたいという明確な意思が提示されたことによって各個人が曲の解釈や最後のSSAに向けた気持ちの整理に向かっていく道筋がみえたんじゃないかな。仙台を経てもっと素晴らしい「さようならパレード」になっていくんだろうなという勇気を貰うことが出来た。

そういうワグナーの意思がすぐに現れたのは「さようならのパレード」や尋常じゃなかった「BtB」を経ての「タチアガレ!」。

今までWUGが何百回も、一番沢山歌ってきたこの曲の間奏の叫びについて、間違いなく今日が至上最高の叫びだったとメンバーに言わしめた。

またアンコールの「Polaris」。

この曲では落ちサビ後WUGちゃんたちが肩を組みながら歌うタイミングで一部の連番者や強いオタクたちが一緒に肩を組みあって歌うというのが習わしになっていたのだけど、この日の夜公演の一階席、ほぼ全員が肩を組んで歌っていた。これまで精々2、3割くらいは組んでるかなという流れだったのにも関わらず、突如一階席のほとんどが肩を組みあい、会場全体が蠢いている様子を二階から眺められたのは壮観だったな。

WUGはいつもワグナーのことをいい人しかいないと持ち上げてくれるけど、界隈間で仲が悪いだとかMIXを入れたら後ろから殴られたなんて報告が上がったりとか空気読めないタイミングで叫ぶマジモンがいたりとか、当然一枚岩ではないし解釈違いなんてそこら中にいる。

それでもMCでよぴちゃんが言ったようにそれぞれ考え方とかがまったく違う人間同士が、WUGが好きという共通点で好きな曲を共有している時間ひとつになれることがある。「今この同じ瞬間 共有してる実感」ほんまそれな…。

愛知公演後WUGとワグナー間の共依存的関係の異常さ、こんな現場ありえないみたいなことを説いていた方がいたけど、それを僕も愛知で思い知らされました。

客席の一番奥まで練り歩きたがるWUGからワグナーへの信頼。どこまでも一緒にステージを作り上げたがるWUGからワグナーへの信頼。

WUGとワグナーの関係性は間違いなく特別だし異常だった。

 

「今この同じ瞬間 共有してる実感」

昔好きだったグループの解散やコンテンツの終了を聞いたとき、「好きだったのになー」「さびしくなるねー」といった感想が漏れることってよくある。

関心のないコンテンツだったらただ無関心に終わるので、程度の違いはあれどさびしさを覚えるというのは何かしら価値観を分かち合った証だといえる。

反面すぐに「好きだったのになー」という感想が出るということはそれはその人にとって既に過去形になっているということ。さびしいけれど怖れることではない。僕にとってSMAPの解散や嵐の活動休止について一抹のさびしさは覚えるものの、その後のパーソナリティに強い影響を与えるものにはならないんだと思う。

2018年2月3日、最高のツアーを完走してハイになっていた僕らがカラオケの受付待ち時間に知ったミルキィホームズの解散も、6月某日のWake Up, Girls!の解散発表についても、僕にとっては一抹のさびしさを与える程度で内情に強い衝撃を与えるものではなかった。

僕にとっては2月4日の17:52、アイカツ!の歌唱担当グループSTAR☆ANISとAIKATSU☆STARS! が公演まで既に1ヶ月をきっていたアイカツ武道館をファイナルライブに卒業するという報せがこの世の終わりだったし、アイカツ武道館終演後死ぬんだと思ってた。それくらい想い入れのあるコンテンツでありグループだった。

グループの解散(アイカツの場合卒業と言っていたが実質解散だった)で一番怖れることは、自分にとって過去には出来ない場合だ。

推し(コンテンツ)について雑に説明する場合神だとか宗教が近いんだろうな。推しは生きていく上での軸であり指針だ。神は人知の及ばぬ絶対的存在故その存在は信仰という集合意思が消えない限り半永久的に保障されるが、我々オタクにとっての神である推しは神であって神ではない。例え信仰が残っていたとしても、人もコンテンツも極めて人為的に容易く終わりゆくものなのである。

自分が生きるための指針として失くせるものではないのにその存在が見えなくなってしまう恐怖。忘れたくないのに姿が見えなくなることで信仰が薄れ、やがて忘れてしまうかもしれない恐怖。

ライブみたいな生モノについてレポートを残したりするのって結構無粋だと実は思っている。「今この同じ瞬間 共有してる実感」こそがライブなので言葉にしてまとめてしまった時点で既に生モノではなくなっている。まぁ僕もやっちゃうし他人のレポも沢山読みたいと思うけど、究極的には自分が忘れたくないからせめて言葉に残そうとする。言葉を結晶にして忘れないよう留めておきたくなる。

話がいよいよ今のWUGに戻ってきた。

解散発表時ほぼ関心のなかったWUGを秋頃から認知し今年の大阪、長野の公演に参戦してからは、溢れる出るお気持ちを表明してきたのだけど愛知公演を経て決定的に変わったことがある。

これまで一歩引いた位置で見れていたからこそ言語化できた面があった反面ライブでは自分の気持ちの折り合いをつけられず弾けきれない感があったのだけど、上記の吉岡茉祐さんやワグナーの異常性に触れ、愛知での圧倒的なパフォーマンスを見せつけられた結果、感情が振り切れてボロクソに泣いて沸き曲でドチャクソにはしゃぐ感情の化物に戻ってしまった。

「言葉の結晶」がみんなで作る舞台芸術と評されるみたいなWUGの生真面目さみたいな部分に特に惹かれ現場に足を運んでいたのだけど、7GW衣装で「7GW」をリーダーがファーー⤴︎wwと歌ってみたり(初期によくやっていた癖メンバーに弄られてからやらなくなった)、間奏でシャチホコとにこみそにうどん(みそ煮込みうどん)とタコの刺身と手羽先風シャチホコになって踊ったり(文面で伝わらない)、割と真面目な僕フロやスキノスキルなどのミドルチューンでも自分がメインじゃないとこで一々ふざけ合ったり、アガペーの自由振りの場面でいつも反対サイドばかり沸いてると最後期のこのタイミングで怒り出したり、規範的なパフォーマンスとは別質の彼女達のバラエティ面とライブパフォーマンスとここにきてシンクロした、間違いなく最強のライブ体験だった。一歩引いてみれていた世界の沼にどっぷりと浸かってしまった。WUGも僕にとっての軸になった。

自分にとってそういう存在はアイカツ!だったし、それがμ'sであったりドリフェスであったりミルキィの人もいたのかな。

愛知公演以前までは自分が当事者になりきれていない故の余裕がまだあった。SSAは死ぬほどさびしいけれど死ぬほど怖いものではないと思っていた。

でもMCで青山吉能も言ったけどライブが楽しければ楽しいほど終わりがみえてきてさみしくなる。愛知が死ぬほど楽しかったので帰り道自分が仙台に行けないことが死ぬほどさみしかったしはじめてSSAが怖くなった。あの2.28の武道館の感情を思い出してしまった。

Wake Up, Girls!との「今この同じ瞬間 共有してる実感」はSSAで終わる。

 

でも愛知で観ることの出来たWUG最後の曲、「さようならのパレード」で歌われていることは、終わること・進むこと・生きること。

だから3.9以降も生きていくしかないしそもそもメンバーの仕事の詰まり具合が強すぎるのでオタクも休む暇なんてなく(それでも特に田中美海さん休んで欲しいけど)それぞれの物語をはじめる、今日が生まれ変わるSTART DASH SENSATIONなんだ。

(終演後石濱翔田中イベムーブ やりません)