→NOT ODAYAKA!

おだやかじゃなかった備忘録

「Wake Up, Girls!」は屈折して透明になる

アイドル「Wake Up, Girls!」とその楽曲の特質性について言語化おじさんやっていきます。WUGやアイドルに少しでも興味があれば、よければ必ず読んでください。

 

 

WUGライブのハジけきれない感じ

好きなアーティストやコンテンツのライブ中高まりすぎると記憶を失うじゃん(じゃん?)

理性を超えた感情が剥き出しになる瞬間、そういうものってライブの醍醐味だけど今年から参加し始めたWUGのライブは楽曲への思い入れの強さに反して理性が飛んでトリップしたり号泣したりってのがない。WUGのライブでは頭に色々な考えが巡りどこか客観的にみてしまう。

それは僕がWUGをまだまだ解釈出来てないということでしょう。例えば「ダイヤモンドハッピー」(アイカツ石濱翔)なら寝惚けながらでもキマることが出来るのでDNAレベルまで血肉となっているアイカツとそうでないWUGの差だといえるけど、WUG楽曲やWUGちゃんのライブパフォーマンス自体の特異性も大きいと思っている。

音楽で楽しくノるためには音圧なんだよ。アイカツシリーズのCD音源が時にほぼ音割れしてんじゃねーかってレベルまでゴリゴリに音圧を高め(L○ntisいい加減にせぇよ)幼気な女児たちを音圧漬けにしてクラブミュージックへ誘うアニメだということは有識者に知られた話だけど(語弊)WUGの中核を成す曲に音圧ゴリゴリのロックナンバーやイケイケのダンスナンバーってない。アイカツでいうところの「永遠の灯」とか「薄紅デイトリッパー」とか「episode Solo」とかそういうの。

こういう曲って音楽に身を委ねやすいのでライブで特に高まりやりやすいしトリップしやすい。

自分は「Run Girls, Run!」を経由して「Wake Up, Girls!」に来た珍しいタイプのオタクだけどRGRは楽曲派石濱翔のクールな一面も見せつつ、音圧ゴリゴリに攻める曲が多くて客も割とピンチケなノリでめちゃくちゃ楽しかった。イケイケなRGRとWUGの生真面目さみたいなもののギャップは結構大きかった。

 

揺れる 田中秀和 ガラスのように 広川恵一

WUG楽曲の二台看板といえば田中秀和広川恵一。所謂楽曲派作編曲者であり、所々イキスギてしまう田中秀和の揺れる少女の気持ちのような転調や、単音の美しさを追求しガラスのように繊細で尖った広川恵一らの楽曲というのは聴かせにいくモノが大半だし、WUGのパフォーマンスも自在なフォーメーションチェンジと生歌三声コーラス、曲や歌詞の転調に伴い楽しさの中にシリアスさが見え隠れする非常に観せる構成になっている。

田中秀和広川恵一ほどの大天才がノレる曲を書けないといってるのでなく、あくまでWUGの中核(ここではWUGらしさとする)を成す曲に関してはそういう曲を書いてないという意味です。

WUGの二大アゲ曲「極上スマイル」「地下鉄ラビリンス」は田中・広川であるし、キャラソンやノンタイアップでは「ステラ・ドライブ」や「セブンティーン・クライシス」みたいなイケイケな神ナンバーを書いている。

「素顔でKISS ME」はWUGらしさへの相反として書かれた楽曲だし、「ジェラ」などイケイケでカッコいいダンスナンバーを歌えるのはあくまでアニメ劇中でのトップアイドル「I-1club」だけという差別化が徹底されていた。

他作品と比べても田中・広川がWUGに提供する楽曲は揺れるガラスのように脆く痛い少女の気持ちのような屈折した、あるいは複雑な感情を表現した楽曲が多い。音圧でゴリゴリに攻めたり、流行りのEDMやクソオタクのMIXや家虎を入れられるタイプの曲の方が簡単に気持ちよくなれるのにWUGのライブではそういった余地が少ない。

(只の流行りの曲は作らない、それぞれ得意の分野で真っ向勝負するというのはMONACAクリエイター共通の認識、方法論であるようにも思います)

 

 

「アイドルである前に人間です」

WUGがどういうアニメであるかは以前書いたことがある。

odayakana.hatenablog.com

端的にまとめるとWUGってすっげえ人間臭い物語だって話。それこそ偶像としてのアイドルアニメへのアンチテーゼ。

元国民的トップアイドル島田真夢に「アイドルである前に人間です」といわせることに意味があった。

 

ここでWUG新章での田中秀和広川恵一へのインタビューをみてみる。

ーーとても言語化するのが難しいと思いますが、『Wake Up, Girls!』らしい曲ってどんな曲なのでしょうか。

吉岡:具体的な言葉にはできないのですが、『MONACA』さんたちの曲を私たち7人が歌うことの中に軸があるのかなと。

広川:実は他のアーティストさんに楽曲提供するときに、「『Wake Up, Girls!』っぽくなったから変えようか?」って時があるんです。

青山:えー!!!

広川:そうなんです。自分の中での差別化はある気がしています。

奥野香耶さん(以下、奥野):7人で激しくダンスをして、雰囲気もすごく楽しそうなんだけど、どこか儚さがあるというか。明るい中にそういった影みたいなものが見え隠れするのが、『WUG』の楽曲っぽさなのかもしれないなって思います。

田中:うん。確かにそういったところありますね。

吉岡:キラキラだけじゃなくてね。

奥野:そうなの。

青山:『極上スマイル』もなんか切なくなるんですよね。あんなに明るい曲なのに、「泣き笑い」というか。

ーー哀愁感というか、そういったものでしょうか?

田中:哀愁という言葉では必ずしもないのですが、作曲家としての演出意図としてそのポイントはあります。曲で人の心をどう動かすのか?ということを常に踏まえながら、作っていますので。奥野さんが仰ったように僕たちは『WUG』の楽曲について、「ただ明るいだけの曲」を制作していないのは事実です。僕たちが『WUG』の曲を作る時に、聴いてくれている方たちを「明るいだけの気持ちに引っ張っていく」ようにしないことが、『WUG』の楽曲らしさにつながっているのかもしれませんね。どう?合ってる?

広川:合ってると思います。エモみってことですかね?

田中:エモみって言うと、急に俗っぽくなるね(笑)。

広川:感情の熱さというか。そういったところはありますよね。

田中:『WUG』は劇伴も一緒に作っていたので、シナリオを全て知っている状態からのスタートでした。そこから「このユニット、この音楽」という意識付けがあったのかもしれません。

『WUG』×『MONACA』が語る楽曲制作秘話 | アニメイトタイムズ

 

僕たちは『WUG』の楽曲について、「ただ明るいだけの曲」を制作していないのは事実です。

僕たちが『WUG』の曲を作る時に、聴いてくれている方たちを「明るいだけの気持ちに引っ張っていく」ようにしないことが、『WUG』の楽曲らしさにつながっているのかもしれませんね(ひでかず)

 

奥野香耶さんの意見があまりに分かり手過ぎるのは置いておいて、WUG楽曲の本質が二大クリエイターの口から直接語られているし、このインタビューを踏まえた上でWUG新章最終話のサブタイが「明るいほうへ」っていうのがとても素敵じゃないですか?

色々言われてるWUG新章だけど意欲的で好きな部分は多いよ。

そんな明るいところだけでないリアルな人間感情を扱ったアニメだったし楽曲も必然的にそうなった。

 

白光の「Beyond the Bottom」,「Polaris

WUGのライブにおいて「Beyond the Bottom」と「Polaris」のペンライトが(基本的に)白一色になった経緯は知らないけれどその演出に相応しい、7色の光の束のような輝く巨星のような二曲だ。

BtBは僕にとって「書きすぎた」楽曲です。
何が書きすぎたかというと、彼女達ではなく、僕個人の思いを書きすぎた。

それ以外の曲はすべて彼女達に向けて書いたし、彼女達の口から出るべき歌詞を書いてある。
彼女達が歌う「べき」曲を書いてある。
しかしBtBはそうではなかった。という僕の認識。

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ヒリつくなよ。実際「Beyond the Bottom」は全人類に向けられたアガペーのような曲だし上で述べた「アイドルである前に人間です」のWUGらしさ(人間らしさ)から離れた神々しさ、偶像としてのアイドルの究極的な表現のひとつだと思う。WUGらしさを超越した究極的な表現だったからこそ続・劇場版で「Wake Up, Girls!」は世界から見つけられ認証されるに至ったというのが個人的な解釈。

ライブでこの曲のパフォーマンスをみているとノッていいのか泣いていいのか毎回わからなくなる。彼女たちはこの曲を歌っている間だけは何者でもなく何かを代弁する偶像なんだ。落ちサビ前の間奏のダンス、照らされたままのステージ上で演者へのスポットライトは消えその姿は黒くなる。それは次第に白黒にストロボ点滅し白に戻っていくが、この時の彼女たちは白でも黒でもない彼女たち自身でもない何者かになってるんだ。この曲を演っている時の異様な気魄はこの曲のパワーがそうさせているんだと思う。この間2列目ドセンからこの曲を歌う青山吉能をみてたんだけど"黒い目の魚"のような、感情の読み取れない異様なパフォーマンスだった。

そんな強い光の象徴のような楽曲が「Beyond the Bottom」であり純白が相応しい。

(お気持ち表明ポエムのような内容になってきたな…)

 

Beyond the Bottom」が彼によって生み出された強い光なら「Polaris」はWUG自身が作詞した、彼女たちの放つ光のような曲だ。

多分コンテンツ「Wake Up, Girls!」としてではなく、アイドル「Wake Up, Girls!」としての象徴は「Polaris」(と「TUNGO」)になるんだろうなと思う。

この曲は上の項で述べた通りのWUGらしさを彼女たち自身の歌詞で繋いでいく、夜道を迷わないように導く北極星のような曲だ。

 

アイドル「Wake Up, Girls!」のSSAでのファイナルライブについて彼は"俺の作品"とは関係ないと切り捨てた。確かに「Beyond the Bottom」から先のSSAまでの軌跡は彼とは関係ない彼女たち自身の成果であるわけだけど、そこに至るまでの愚直で一生懸命な歩みは続・劇場版「Wake Up, Girls!」で描かれたWUGらしさ、

真摯であること、

正直であること、

一生懸命であること。

結果的に誰よりもこの命題と愚直に向き合ってきたのアイドルが彼女たちなんだと思う。

 

 

屈折して透明になる

 


言葉の結晶 / Wake Up, Girls!

純白こそ相応しかった「Wake Up, Girls!」は、しかし最後の新曲で屈折して透明になる。

難解な新曲4曲は新参の自分には解釈できない部分が多いがそれでもいくつか言及しておきたいことがあるので書く。

アイドルアニメのモチーフとしてやはり夢や希望、輝きや星など空に真っ直ぐに伸びていく光みたいなイメージが抱きやすい。

私の敬愛するアニメ「アイカツスターズ!」の主人公は虹色のアイドルだったし、その虹色と「目指せ!アイドル一番星」のキャッチコピーのように、虹色のようにそれぞれの分野の一番強い光、一番星を目指すあらゆる光を描いた作品だった。

他にも、

「あこがれの向こう側」のアイカツ!

「輝きの向こう側へ!」のTHE IDOLM@STER 

「0から1へ、1からその先へ!」のラブライブ!サンシャイン‼︎

など、絶えず進み続ける強い希望や光こそアイドルアニメだし少なくともWUGの「Polaris」もそういうモチーフだったが、最後の新曲で光はどうしようもなく屈折して透明になった。

 

屈折している光
響きは ひび割れたまま歪んでいく
真っ直ぐに伝わらない 自分を責めていった

哀しい 苦しい 説明ならなくていい
泣いても 呼んでも 夕暮れだけ残った
一人で静かに 追いつめられる時間で
傷を削って 透明になる

存在だけで 美しいもの

絶えず空に煌めく星にはならず結晶となり地上に留まった。光は透明になった、存在そのものになった。そういう内面を映した歌だと思います。最後にこれだけ内面に迫る曲を歌うアイドルがいる?

「言葉の結晶」の一つ前に作詞:只野菜摘 作曲・編曲:広川恵一がタッグを組んだ「SHIFT」というWUG曲があります。

続・劇場版は「Wake Up, Girls!」が世界から見つけられ認証されるに至る物語みたいな解釈を上で書いてますが、この「SHIFT」という曲は認証されたい女の子がオーディションを受けて世界から見つけられたいという内容になっていて、そういう曲が生まれた後に解散が発表されて「言葉の結晶」にSHIFTしてしまったのが無限にしんどい。

冒頭で述べたWUGのライブでハジけきれない感じというのは難読な楽曲の世界観もそうだしWUGの置かれている背景がどうしてもチラつき色々な事を考えてしまうからだ。

「TUNGO」や「雫の冠」などのWUGのバラードはいつも大地や海の恵みや魂のようなものに至るまで、人の"営み"そのものを歌ってきた。

2019年になっても大震災の鎮魂歌のような「海そしてシャッター通り」を歌っている。

生活と芸能活動の両立、自分自身を背負うことすら大変で何度も泣いてきた彼女たちは最後の最後までどこまで背負わされの人の営みを歌い続けるのか、怒りさえ湧いてくることもある。自分たちでそういう道を選んできたのだとしても。

 

Wake Up!

オタクのお気持ち表明ポエムを読むごとにポエマーになるんじゃねぇ言語化をやっていけお前たちが鷲崎健になるんだよと思って書いてきたけど、想定以上にお気持ち表明ポエムになってしまったし間口を広くするつもりが只のワグナー向け文章になってしまった、つらみ。(でも それがオタクのSAGAだから)

ワグナーが、WUGとワグナーはファンとアイドルの関係性を超えているんだ!と悦に浸るのは構わないがそれは多分本質的ではなく僕が言いたいのは、コンテンツ「Wake Up, Girls!」から生み出されたアイドル「Wake Up, Girls!」はコンテンツの枠組みを超越している。

アイドルの枠組みを超越している。

これほど"人の営み"が詰まっているアイドルは他にいないよ、ということ。

これが僕がWUGを推す一番の理由だ。

 

 (後日記事 WUGとワグナーの関係性も特別だったわ…)

odayakana.hatenablog.com

 

 

誰かの人生を照らすことが出来たのならそれはアイドルだし、誰よりも人の営みそのものを照らしてきた彼女たちは、声優ユニットやアイドルアニメの枠を超えたアイドルグループ「Wake Up, Girls!」だよ。

愚直さと屈折感、どちらにも割り切れない世界の業を背負ってきた彼女たちだからこそ、虹や星とは質が異なる透明な何かに、これからなっていくのかなぁ。

 

最後の新曲「さようならのパレード」の歌詞

ねえ 何を失くした
でも 何を信じた
崩れた路上から
大切なものの 向こう側へ

さようならのパレード
あなたをつれていくよ
光のないディストピア
記憶を残したい 光で

「0から1へ、1からその先へ!」が大前提のアイドルアニメ界の中で最後の最後まで崩れた路上から、マイナスからのスタートだと歌い切る。この世にディストピアはあるのだと歌い切る。

 

3/8(金) さいたまスーパーアリーナ公演

「Wake Up, Girls!FINAL LIVE ~想い出のパレード~」のことを一番に考えて書いてきたがすごく重い内容になったし興味を抱く人が増えたのかはわからないけど、3.8を見届ける見届けないに関わらず、

2019.3.9〜の人にも向けて「Wake Up, Girls!」というアイドルがいた事が伝わればと。そして彼女たちの絶唱が心のどこかにとどまればと思う。

マイナスからのスタートであっても彼女たちが繋いできた大切な何かは、「さようならのパレード」のいちばん最後の歌詞カードには載らないフレーズのように、

誰しもの背中をそっと押してくれるものだから。