→NOT ODAYAKA!

おだやかじゃなかった備忘録

AIKATSU☆STARS! スペシャルLIVE TOUR 2018年1月8日(月・祝)東京・Tokyo Dome CityHall レポと松岡ななせさん

心にぽっかり穴が空いたまま勤労に励む紳士淑女もそうでない方もこんにちは、昨日のライブレポを纏めていく。

MF2016以来のTDCH公演 ソレイユゲストということで優勝曲ドラマチックガールの再演を予想する声が多かったが果たして…⁉︎

 

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ファミリー回セトリ

感想「羨ましい…」

以上です

 

ナイトタイムセトリ

 物販や入場待機列のアレコレgdgd酷いものがあったがライブの話をしたいので割愛する

 

ツアーのため基本のセットリストは星のツバサ編をベースに仙台から大きな変更はなし

AIKATSU☆STARS!スペシャルLIVE TOUR「MUSIC of DREAM!!!」2018年1月6日(土)宮城・仙台銀行ホール イズミティ21 簡易レポ - おだやかじゃねえ

なので東京で特に印象に残った部分を抜粋していく

スタートライン! "憧れは次の憧れを生む 私は'ここ'だよ" をるかソロ強調して歌う

自己紹介MC 

会場のみんな盛り上がってるゥ〜 イェーーイ!!!

松岡「足りなーい💢そんなだとお仕置きタイムだよ‼︎」ってこれ仙台と同じくだりやーん

POPCORN DREAMING♪

AIKATSU☆STRAS!、りささんの全員ver このツアーメンバーなら最強でしょ⁉︎でしょ⁉︎

ハッピー☆パンチ(せな、みき、りさ)

仙台のファミリー公演で演っていたがこのメンバーでフルは初めて りささんの馴染み具合がすごい!可愛い!

ななせミラフォ2番でりえ合流からりえ12S4U(ミドル)は仙台と同じ流れ これがツアーのスタンダードか ファミリー回のルネサンスがりえ、ななせだったみたいなのでミラフォりえソロとか来たら2人のルネサンス構えといたほうがいいかも りえの調子がめちゃくちゃ良くて声が通りまくっていた

MC 新コーデ紹介など

次曲への前振り るか「ここまで盛り上がる曲中心でやってきたけど ここからはキュートでクールでセクシーで云々」も仙台でもやったくだりです

Summer Tears Diary

ここのMC明けの枠はみほソロコーナーだと推測出来る めちゃくちゃ好きな曲なのであまり棒を振らず静かに聴いてました 次大阪で未来トランジット来るんじゃないかな

M♡M

仙台から同じことを言い続けているが皆さん はやくおかなのディライトフェスティバルコーデをみるのです やっぱり衣装群の中でも一番可愛い

荒野の奇跡は後ほど

おねがいメリー(みほ、みき)

ぼくは一回バルコニー右方から見てたんですけど上ステージの右端に演者が立つとギリギリ見えないとうのがあって でもみきも居るのを推測出来たので覗き込んで見たところ手が見えてやっぱり居たって(笑)

バルコニーの両端と見切り席はちょくちょく演者を視認できない機会がありましたね

So beautiful story(せな、ななせ)

眼鏡の美少女が来ることは予測出来ていたのでせなに注目してたんだけど 本当せなの歌唱も凄みが増してきてこの曲もモノにしていたのが凄えなって せなもりえも去年の今頃とは別次元のパフォーマンスだなって cメロ前合流して抱き合う場面で(アァァァァーーーーー)限界になったオタクの悲鳴が聞こえてた気がした…

MC なんとここでゲストが来ています〜

ぼくは芸能人はカードが命の間に高速トイレをキメる 今回のツアートイレ抜けするならこのタイミングだと思う

Good morning my dream

この曲もアニメ本編だけでなくライブの使われ方にもこれまでのストーリーが詰まっていて大切な曲だよね ぼくの胸も詰まった

ソレイユ MC

ソレイユはやっぱりソレイユであり特別なんだよな(言葉にならない)

ゆな「ソロ曲もやるよ〜」でざわめき

ふうり「私は次は武道館になるので精一杯歌いたい」

会場の皆で一緒に ソレイユ〜〜「「ライジング!!!」」

 

…ヂュン、テッテッテテッテッテーー

Trap of Love(ゆな)

イントロで号泣してしまった アイカツのライブでこういう殴られ方をしたのは久し振りだと思った こういうライブで演る機会が減っている初期曲がいつまでもいつまでも大切に紡がれていくのが本当に嬉しくて 今回のツアーは何よりもAIKATSU☆STRAS!さんを見たくて足を運んできたわけだけどこれが東京公演でのハイライトになった 理屈とか抜きで大好きなんだ

ショコラショー・タイム(ふうり)

好き 好きだしこれもサプライズ選曲 Trap of Loveがショートだったのでどうなるかという感じだったが2番に続いた瞬間ボルテージが上がるアイカツライブならではの感覚も久しぶり 個人的には2番歌詞の "こめてる 揺れてる 気づいて でも言わないで" の韻の踏み方 歌い方がありえん好きなので嬉しかった

カレンダーガール(ソレイユ)

大切 今日の日も忘れない

ここからまた星のツバサ編で畳み掛ける

裸足のルネサンス

まだ披露されて間もないがベストアクトでは? 特にcメロからの熱の入り方が鬼気迫る勢いで "そう 気づいたーー" で鳥肌 しかしそれでもラストの "裸足のルネッサーーーン(投げ)"だけが仙台に続き上手く決まらず曲の難易度の高さが伺える また次のステージで観たい

MC

みき「ソレイユの方が盛り上がってなかった〜⁇」はこの日最大にパンチの効いた発言で メタだ…と呟いてしまった やっぱりライブ向けであるとかノリやすさで言ったらスターズ!よりアイカツ!曲の方が強い傾向があるけど演者がそんなこと気にならないほどの熱量をこちらからもぶつけていきたいね

 ランラン!

一階バルコニー最前でタオルを回していたのがぼくだけだったのでちょっと寂しかったです

Jewel Star Friendship☆

仙台での優勝曲 2回目なのでもう少し落ち着いて受け止められるかと思ったが強度がまったく落ちず最強のLIVEだった かなりノレる系EDMであるため照明もミラーボール的に回転して綺麗なんだけどおそらくアイカツ界を照らす星々と天体の輝きって意味も込められていて 第25代S4はいつまでも夜の道標で在り続けるんだなって

第26代エピソロも仙台に引き続き披露されたのでこれもツアーの基本構成になってなっていくのかな

みきが終盤の決めポーズの向きを間違えてしまった時失敗をまったく隠さない満面の照れ笑いを浮かべていてそれも未来みきさんらしさであるし後述する松岡ななせさんとはまた違った"個性"を持つ1人のアイドルの在り方だなって思いました

MoD!!!やアンコール明けダイハツの強度は言わずもがな

 

ラストMC

これはお馴染み るかが簡単な挨拶でもトチってしまうのを見れて正直嬉しくなっちゃった(笑) AIKATSU☆STRAS!メンバーの中でも圧倒的なステージパフォーマンスを見せ続ける遠藤るかであっても相変わらずMCが上手くならないのは"個性"であるしこういう場面が観れるからLIVEって良いんだよ 本人は勿論スマートにこなしたいと思っているんだろうけどね

わか、ゆな は他地方でも公演があるのでまたよろしくお願いしますー

ふうり また次は武道館でお会いしましょうー

 

 

ななせ「絶対に後悔を残さないよう残りのツアー頑張っていく」

りさ「ステージの裏では涙を流すこともある。それでもこの最高のメンバーと走り抜けていきたい」

 

 "きっと武道館公演では今の何倍も成長してるんだろうな"

 

荒野の奇跡での出来事

1番のサビで2番の歌詞を歌ってしまいラスサビでも歌詞が所々飛んで「ラララー」と歌う場面があった

曲が終わった直後の個人的な率直な感想としては「荒野の奇跡」のベストアクトだと思った

cメロからの熱の入り方には鬼気迫るものがあったし声の通りも最高に良かった 最後歌詞が飛んだのもあまりにも熱が入りすぎてしまったのだと思ったしその中でも誤魔化そうとすることなく堂々と歌いきった松岡ななせがほんとに格好良かったんだ

本人の心情は本人にしか知りえない もしかしたら追い詰められた中での虚勢だったのかもしれないし無我夢中にやっていただけかもしれない

それでも荒野の奇跡以降ラストのMC以外で表情やパフォーマンスにネガティブさを見せることなく七倉小春、如月ツバサ、松岡ななせとして演じきっていたのは本当に格好良いと思う

https://lantis-net.com/aikatsustars/

ラジカツスターズ!のコーナーに「from AIKATSU☆ STARS!」というその日担当のメンバー1人が自身が関わるアイカツ楽曲について語るコーナーがある

そのコーナーにて松岡ななせが「荒野の奇跡」について語った事があった

レコーディングの際 "寂しくて涙ポロリ こぼれ落ちた瞬間(とき) 月も花もその羽根さえも青く染まった" という部分について白銀リリィの世界観に似合うクールなイメージで歌ったと

しかし後でゴシックヴィクトリアや諸星学園長のモチーフにもなっている青い薔薇は品種改良が進む中でも実現できないもの、"不可能"とされていたが長年の研究によって実現され"奇跡/神の祝福"という意味を持つようになった そういうことを踏まえるととても情熱的な歌詞なんじゃないかと

でもクールなイメージでレコーディングした時の自分はその時の全力を尽くしたし後悔はない 新しく意味が上乗せされた事象に関してはまた次のステージで示していけばいいんだ

と、そのような内容を力強く語っていた

 

ツアーも大阪が折り返し地点

次の曲へ

AIKATSU☆STARS!スペシャルLIVE TOUR「MUSIC of DREAM!!!」2018年1月6日(土)宮城・仙台銀行ホール イズミティ21 簡易レポ

全通するし全公演簡易レポでも書くゾ


ファミリー回の方が初出しの驚きが多かったのでそちら優先の内容
座席の5分の3は紳士淑女でファミリー席は寂しい感じだったが仙台の女児はレスポンスが良くほんと良かったなって

ファミリータイムセトリ



1曲目スターダム!
せなセンターフォーメーションだがラスサビの"憧れは次の憧れを呼ぶ わたしはここだよ"部分はるかのソロ 特に"わたしはここだよ" を胸を叩き強調しながら力強く歌うアイカツの継承に早くも紳士淑女が死にはじめる
2曲名Forever Dream
いきなり一番好きな曲2連で来てぼくも死亡する
自己紹介後せなりえMC
せなの相槌が明らかに適当で紳士淑女笑う イントネーションも相変わらずあやしい
ポップコーンドリーミング
ハッピー☆パンチ(せな、みき、りさ)
CD版とアニメ版の複合メンバー ライブでは最高の構成だと思う りささんブルーミングクイーンコーデなのに表情も動きも完全キュートになってたのほんと可愛いかった
ネバギバ☆
トロピカルビーチコーデ初出し かなの強みが歌唱なのは周知の通りだけどダンスのクオリティも見るたび洗練されていてほんと凄い 女児もフレーフレーて声出してたみたいでなにより
ラクルフォースマジックはナイト回と違ってはじめから2人 ロックマイハートコーデ初出し 今回藤城クンははじめからずっとポニテだったよね
M♡M
かな早着替えからのデイライトフェスティバルコーデ 今回の衣装群で一番好き ありえん可愛い、みんな早くみて
荒野の奇跡
ロゼッタソーンコーデ初出し 鳥籠パニエまで再現されてて多分一番ダンスには難しいコーデだと思うけど舞う松岡がカッコよかった!
MCコーデの紹介等
るかがおねがいメリーの前振りとして女児に最近どんな夢をみたか聞くが返答なく
「(答えるの)恥ずかしいかな〜?。るかは最近幸せな夢を見まして〜 もぐもぐ美味しいものを沢山食べて〜」ってそれ普段と変わらんや〜んと紳士淑女爆笑
おねがいメリーはきらあこver
しかも色違いスイートドリームコーデ!!! 照明がプラネタリスム的でめちゃ綺麗 隣のオタクが泣いていた みきの「プラネタ リィ〜〜ゥム」の語感
So Beautiful Story
下手からバイオレットマーチングコーデのアイドルが出てくるがかなではない 眼鏡が似合う短髪の美少女……こいつァ七倉ァ!!!(号泣)
ステージの対角から徐々に歩み寄り最後合流して抱き合うって、もうね…


MC なんと特別ゲストの りすこ "ちゃん"が来ています、でもりすこちゃんは大声で呼ばないと出て来ません(笑)
女児「「りーすーこーちゃーんー」」
♪(芸能人はカードが命)
からの一曲目まさかのオトナモード りすこのオトナモードはエロいので不適切、親御さんの心境が知りたい
りすさんMC緊張したと思うけどアイカツのこと覚えてるよ〜と温かい女児が多く安心
そしてmove on now これはレジェンド美月
森のひかりのピルエット
フェアリーガーデンコーデ初出し これは驚いた人多かったみたい この曲のダンスはバレエ調で柔らかいんだけどやっぱりるかのダンスはナンバーワン👆
裸足のルネサンス
イノセントプリンスも初出し アイカツライブ初のパンツスタイル MCでリエがドヤ顔で「このコーデだとどんなポーズでも格好良くなる」とヅカ系の格好良いポーズを何パターンか披露(確かにかっけぇぇ) 最後はレイがエルザにやっていた跪いて手を差し伸べるポーズを決め女オタクが吐血する(誇張表現) かなりタイト目なパンツスタイルだけど他のドレスより踊りやすいって藤城が言ってた
VAボンボヤ
さわやかでEDMで一気に夏 やっぱりエルザ様可愛い  MC含むりささんの立ち振る舞いが一番歌のお姉さん然としててほんと素晴らしかった🙏
メッセージオブレインボー
せなは本当歌上手くなったし堂々としたステージに感服 泉南を見てるので成長したなぁ〜と保護者ヅラを決める
the only sun light 強いほんと強い
そしてMoD!!! 優勝
この曲はずっとステージ照明明るくほんとステージ映えするのでさながらヒーローショーの大団円みたいな雰囲気
ラスト アイカツステップwithりさ
振り付け講座はなしだが曲前お友達一緒に踊ってねと女児スタンドアップ 楽しくライブを終了する

アンコール前 すごい時間がかかってるなと思ったけど女児が頑張って「アンコール」とコールするのをあたたかい気持ちで見守る

アンコール 時間が掛かってたのは公演の特典カードにもなっているショコラチェックコーデに着替えていたから わたしのアツい販促カツドウ!
せな「りすこ"ちゃん"」を呼んでみようで紳士淑女笑う
最後は演者全員でアイドル活動!
優勝するなどした

ナイトタイムセトリ




スタートライン!
ファミリータイムと違いはじめるかセンターからせなセンターに移行するフォーメーション
MC 自己紹介からの声出しコールアンドレスポンスにて 松岡「(声援が)足らなーーい💢、そんなだとお仕置きタイムだよ!でもそれじゃみんな喜んじゃうか」で皆喜ぶ 確かにツアー初日で客席温まりきれてなかった感はあった
8月のマリーナは結構サプライズ選曲 やっぱこの曲難しいよね
ミラフォは1番は松岡のみだか2番で下ステージに藤城が出てきて (上下2段ステージの構成だった)"チューニングは同じ気持ちで" を振り返りアイコンタクトを取りながら歌う あとのMCでキマったよねとリエがドヤ顔を決める
TSUBOMI みほソロは珍しい みほもダンスのキレとセクシーさが増してたよね 間奏のダンスが見せ場のストイックな曲だと改めて思った
M♡M 皆さん かなのデイライトフェスティバルを早く見てください 一番の聴きどころである "ドレスは Brand-new Kiss" が"期待"ほどは伸びてこなかったよねと後でオタクと解釈が完全一致した でも高難度の振付をこなしながら歌うAIKATSU☆STRAS!さんはほんとに凄いんですよ
まさかの Dreaming bird 流石に荒野の奇跡と両方演れる強度ではなかったみたいだけどこれはサプライズ! これだからツアーは何ヶ所か周らないと

おねがいメリー

ファミリー回に続き死ぬ人が続出 この曲はほんと照明も良いよね 腕をブーンとしながらステージを広く二人が交わる振付が可愛すぎか!

So beautiful story

松岡第一声で"小春声"を上手く出せなかったが(ファミリー回ははじめから安定してた)すぐに"チューニング"を合わせ眼鏡の似合う美少女になる


りすこ登場からの真夜中のスカイハイ これはアガる
りすさんMC ファミリー回緊張した分ナイトは悠々と観客を煽ってた
move on now なんと美月リサっぺver MF2016day2のハイライトのひとつだと思っている組み合わせだったので嬉しいサプライズ
オトナモード りすさんはエンジンがかかるほど素の声になりどんどんエロっぽくなるんだけどそれが(いいゾ)
裸足のルネサンス この曲も超難曲で後半につれてなんとかギリギリ持ち堪えてる感じだったんだけど最後の最後のルネッサーーーン(投げ)が上手く決まらずリエは悔しい想いだったと思う また次に期待したい
初出し紹介が多くて自由なMC少なめだったけどようやく仙台トーク 客席を牛タンチームずんだチームに分けコールアンドレスポンス対決 藤城がずんだチームばかり振るので喉が死んだ
ナイトタイム私的最大サプライズのJewel Star Friendship☆
エピソロ同様振りもめちゃくちゃ格好良く強度が高い 最高 個人的にこの日のハイライト
The only sun light フル初披露 強いほんと強い エルザ フォルテの負けをほんとにアニメは描けるのか
サプライズ エピソロ現S4ver
今回のセトリについて未来みきさんの見せ場をどう作るかをしっかり練られていたのが一番の収穫だった思う あと平然と二役こなす星咲かなはナニモン⁉︎(とくに"贈りもの胸に抱いて(ゆず) 生まれたこと忘れないで(真昼)"部分)
MoD!!! はやっぱcメロのフォーメーションチェンジだよなぁ

アンコールはなんと文脈無視のダイハツ! ほんとただ力業で殴ってくるだけだったけど打ちのめされたよね!
MC ショコラチェックコーデの紹介など 最後は一人一人挨拶

初日だし皆サラッとまとめる感じ るかやせなのグダグダMCが見れずちょっと残念
ラストアイカステップ
もうみんな大体踊れるのがバレているのか振り付け講座やみきの「せ〜の」は無かった 皆訓練されているので
最後りすさんを呼んで全員で「ありがとうございました」 アイドル活動までやって欲しかったみはある

あと何と言ってもみきの「みんな大好き〜??」

紳士淑女「みきにゃんにゃん〜〜(にゃん)」

というday1でした。

 

ちな音響についてファミリー回は丁度ど真ん中に居り今までになく音が良いと思ったんだけどナイト回は左ブロックの一番右端 階段のすぐ横の位置からだと音の定位が悪すぎて前半はあまりノレなかったというのがある。定位の悪さに気づいて階段にがっつり掛かる位置に気持ち動いたらだいぶ改善されたので真ん中ブロック左右の階段が分水嶺だったように思う。


簡易レポのつもりがこの長さなのでもう続かないかもしれない…

青春モノ文脈で語りたい TVアニメ『宝石の国』

 

根拠なく明るい予感に甘えられてたのが不思議で

あの頃の自分が 羨ましい

 

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今年最後にして最高の光度と硬度を魅せつけたTVアニメ『宝石の国』が無事(第一部)完結しましたが、最終話を観たことでTVアニメ版でのテーマみたいなものが見えてきたので書こうと思う。

 

原作未読なので今後の展開は知りませんが、宝石たちと宝石の国(アドミラビリス族、月人、過去のニンゲンや星そのもの)の成り立ちに迫るユートピアディストピアが背中合わせのSFみたいな感じで捉えていたし、300年無能をやっていたフォスがナメクジに再構築されメタモルフォーゼするにつれ有能さが際立ち周りとのズレが生じる様はSF的だし『アルジャーノンに花束を』的だった。

 

でも私はこう言いたい、TVアニメ版でやってきたことは春の終わりであり新しい始まり。青春の終わりの物語であったと。

春と修羅

 

♯12 「新しい仕事」

脚本:ふでやすかずゆき 絵コンテ・演出:京極尚彦 CGディレクター:茂木邦夫

 

最終話で描かれたのは勿論フォスとシンシャが共犯関係を結び新しい仕事に取り掛かろうとする 僕たちの戦いはこれからだ!エンド だったが他にも印象的に描かれた宝石たちがいる。

 

 まずジルコン、彼と立場が入れ替わったフォスとの対比が対照的だ

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  彼こそアンタークの件まで無能を呪い迷える者であったこれまでのフォスそのものであり冷静にアドバイスを送るフォスが迷える者から大人に成長したことが伺える。

 

 

そのジルコンを暖かく見守るのがイエローダイヤモンド

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宝石たちの中でも最高齢である彼は年齢の近いパパラチアに、もう永く考えすぎて疲れたと零していた。

パパラチア同様自分の事より次世代の活躍を願う大人な存在として描かれていた。

 

 

アレキサンドライト

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 彼の口から語られた深い憎しみは彼が選んだ仕事・選んだ道そのものであった。

 

 

そしてルチル

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これまで本当の感情(解剖欲求は本物かも知れないが)を顕にしてこなかったルチルの選んだ仕事とパパラチアへの想い

 

 

迷える青年ジルコンとアレキとルチルが選んだ道との対比、イエローおにいさまがこれから示そうとする道

 選んだ仕事を軸にそれぞれの人生(ここでは宝石の意)についてを振り返る非常に大人な回であった。

 

そして今まさに新しい仕事、新しい道へ踏み出す覚悟を決めつつあったフォスフォフィライトにパパラチアが問う

清く正しい本当が辺り一面を傷つけ まったく予想外に変貌させるかもしれない

だから冷静にな 慎重にな 

 選べと

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お前は、青春をしたんだ。

根拠なく明るい予感に甘えられてたのが不思議で

あの頃の自分が 羨ましい

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無償の愛を信じられた幼年期

根拠のない予感に甘えられた青年期(モラトリアム青春)

そして物語はフォスと(ありえんかわいい)シンシャが自分たちの意思で叛旗を翻すものへと続いていくと思いますが、私はこういう青春の終わりの転換期というか、自分の意思で何者かになろうと決めた時の動機、衝動みたいなテーマが大好きですし、そういう過程にこそ青春が詰まっていると考えているのでTVアニメ『宝石の国』についてまとめるとしたらこういうテーマになるんじゃないかと思いました。

そしてはぁー宝石の国良かったぁ、シンシャありえんかわいかったぁ、ダイヤモンドさんの感情量ありえん限界になってしまったわけです。

 

フォスフォフィライト

お前は、青春をしたんだ。

そして物語は春から修羅へ 

 

 

 目下私の「新しい仕事」は単行本の読了でしょうか。

桜庭ローラ 星を継ぐ女

今週の『クリード チャンプを継ぐ男』ことアイカツスターズ !86話「涙の数だけ」がロッキーだったので書く

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ロッキーダッシュ桜庭

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ちなクリードはロッキーの続編(クリードの続編も最近決定した やったね!)

 

そういえばアイカツシリーズってかなりロッキー的だよなと。アイドルにとってステージパフォーマンスが最重要なのは勿論だけどこのシリーズが何よりも描こうとしてきたものはトレーニングやメンタル部分つまりセルフプロデュースなんだよね。

ただがむしゃらに気持ちが乗らないトレーニングを続けても効果は薄い。トレーニングの前にステージにおいて自分が何を表現したいのかどういうアイドルになりたいのかそういうメンタル面に着想を得てはじめて効果的なトレーニングが出来るわけで、着想を得た後の清々しい表情で走るアイドルたちの姿にこそエモが詰まっていたわけです。

トレーニング部分がストーリーのエモである構造はまさにロッキーそのものでアイカツが丸太やタイヤ、ノコギリなどやたらと古風なモチーフを使いたがるのは昭和ギャグに留まらずロッキーからの着想もあったのだと思います。桜庭ローラといえばロックだしね!

 

そうした万全のセルフプロデュースによって86話を走り抜けた挑戦者 桜庭ローラはしかし王者 エルザ フォルテ負けてしまう。ただ、この戦いは桜庭ローラvsエルザ フォルテだけのものではない。 

 

 

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86話の代弁者こと前川綾乃さん(cv佳村はるか)顔も声もありえん良い

 

この勝負だけがアタシの勝負じゃない

まだまだこの先もずっとマラソンをやっていきたいから あえて逃げないことにした
私も負けず嫌いだからね

負けたくないの 弱い自分に

 

 

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そうこれは弱い自分と自身の未来のための闘いでもあった。

 

 

王者は試合に勝った。挑戦者は勝負に勝った。

 

クリード チャンプを継ぐ男

 

 

 

桜庭ローラは敗れたが自身の殻をまたひとつ破ったしその想いは前川綾乃へと伝播していった。

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桜庭ローラは負けを知る偉大な王者 如月ツバサから星を受け継いだ女だからね。

何度でも立ち上がるし月だって地球だって救えるさ。

(「星を継ぐもの」のタイトルは継げなかったが汗)

 

 

 

 ここからスターズ!全体の話

 

まだ見ぬ私のことを 信じてくれるひと

(MUSIC of DREAM!!!)


私でさえ 知らない 私に出逢いたいの

(Forever Dream)

 

 

"私"と"私のことを信じてくれるひと"との相関関係により"新しい私に出逢う"ことこそアイカツスターズ !のキモである。

そして誰かを信じ導くことを担っていたのが先代S4でありそれを受け取った現四ツ星二年生組がこの相関関係が生み出す力を花園きらら、双葉アリアやまだ見ぬ人々に影響を与えている。

歪ではあるが騎咲レイもまだ見ぬエルザ フォルテを信じている者であった。

 

そんな変わり始めたVA組の中でも今回明らか異質に描かれたのが"私"の存在しか示されなかったエルザ フォルテ。もはや彼女が手を差し出す相手は見当たらず自分のアイカツがすべて自分に帰結すると考えているがすでに孤高の頂点を極めてしまった彼女が辿る道はもう墜落しかないのか…

 

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他校や他業種関係なく志を同じくするものと寄り添い高め合う四ツ星アイドルはギャラクシースターライトを望む、対するは 孤高の月

最後に微笑むのは?

 

アイカツスターズ !から目を離すな

偶像崇拝のカウンターとしての騎咲レイの誓い!

アイカツスターズ!第80話「騎咲レイの誓い!」がなんまら良かったので書く。

 

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「騎咲レイの誓い!」では ”アイドル騎咲レイ”の目的はファンや自分のためにあらずエルザのためにあるという女児向けアニメではおよそ語られない様なテーマをぶち込んできたわけだけど、七倉(私の夢はゆめちゃんと共にある)小春ちゃんの在り方といいアイカツスターズ!というアニメはアニメ的なお約束から逸脱した本当にキャラクターの感情に誠実なアニメだと思います。

 

ファンとアイドルの在り方についてデリケートなテーマを扱った本話でしたが騎咲レイなりにファンへの筋を通したステージだったことは言及しておきたいです。

これはシューティングスターとして数年ぶりの復活ステージではなく”アイドル騎咲レイ”としてのステージだった。

もちろん噂を聞きつけたシューティングスターのファンも海を越えやって来ていた訳だがそれはファンの都合でしかない。新人アイドルとして彼女はステージ冒頭で”アイドル 騎咲レイ” としての所信表明を行っておりそれを受けて見限るか応援するかはファンの勝手である。 これまでファンに支えられ活動してきたアイドルが急にたった一人の為に歌いますとか言いだしたら暴動必死だが、きちんと筋を通した騎咲レイには好意的に受け止められアイカツランキング(死語)5位にまで登り詰めた。

”アイドル 騎咲レイ”はアイドルである前にエルザ フォルテに惚れ込んだ ”私人” であるという表明のための第80話であった。

 

 

”私人”としてのアイドルキャラクター

面白かったのが ”エルザのために” という表明により嵐の様に騒めく観客に向かってレイが 「キミたちは嵐に立ち向かったことがあるかい?」と問う場面だ。

これは実際に困難に対峙する当事者(アイドル)と傍観者(ファン)との絶対的な隔たりを含ませた問いと受け取れる。

アイドルがファンのためのステージと言及することは勿論素晴らしい心構えでありレイは四ツ星2年生組がそうであるというスタンスの違いを確認しに四ツ星に訪れていたが、アイドルの個人的な想いももちろん尊重されてしかるべきである。

80話は実際の困難に対峙し努力してきたアイドルの私情について掘り下げされた稀有な回であったように思う。

 

 

アイドルアニメ偶像崇拝へのカウンター

全てのジャンルに通ずる所だけど何か偉そうなファンやオタクっているじゃないですか?

金を払ってやってる、存在を周知してやってるみたいな

でもね、「ファンのために尽くせ」みたいな言及はファン側からは絶対に言っちゃいけない言葉。そのアニメやアイドルの筋の通し方、在り方に納得がいかなかったらさっさと離れるべき。

アニメとアイドルって理想の押しつけというか偶像崇拝の気が強いと感じるジャンルであり特にアイドルアニメなんて最たるものじゃないですか。視聴者に向かって媚を売り続ける虚無アニメを許すな!(それはそれとして楽しめればいいんだけどね)

 

そんな偶像崇拝の象徴たるアイドルアニメのキャラクターも複雑な感情を持つ私人でありそれぞれの感情を抱きながら生きている。自分を輝かせるために進み続けろと語りかけてくれているのがアイカツ!でありそれぞれの在り方について更にブラッシュアップをかけたのがアイカツスターズ!の大きな特色になっていると思う。

レイからの問いかけにドキッとしてしまった我々はやっぱり自分の仕事(役割)を頑張るしかないんだよ。

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のテーマ解説と、分かり合えなさが共有される危うさについて

はじめに

本稿の目的は酷評者の9割以上が理解出来なかったと思われる映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』の簡易的なテーマ解説と、この作品を理解出来なかったことや楽しめなかったこと全てを作品の所為にして批判し、SNS等で簡単に拡散共有される危うさを明らかにする事だ。

物語の核心にも触れるので映画『打ち上げ花火〜』をすでに見た人向けの話になるが、創作物全般に対峙する上で自覚しておくべき話でもあるので多くの人に読まれて欲しいと思う。

そもそも映画批評で心がけるべきポイントやテーマを見にいくものではないという話は伊藤計劃氏が簡潔にまとめているのでそちらを読んで頂きたい。

ぼくとあなたはちがうということ - 伊藤計劃:第弐位相

誰も信じるな - 伊藤計劃:第弐位相

本稿は上記の焼き増しでしかないがその上でテーマを理解出来なかった(しようともしなかった)人がいかに本作に泥を塗っているのかを『打ち上げ花火~』のテーマを踏まえて書いていく。 

 

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のテーマとは? 

思春期を扱った作品

本作は「子供から大人へ、複雑化する自身の感情や世界の仕組みとはじめて対峙するひと夏の物語」だといえる。うーん、分かりづらい!「好きな子といつまでも一緒にいたいと願うはじめての強い衝動とそれは叶わないものだと知る少年少女ひと夏の成長物語」

………しゃらくせぇ、

青春だよ青春。

 

大抵の子供は十代前半に思春期を迎え思考が複雑化し大人へと変遷していく。例えば思春期以前の恋愛感情はふわふわとした漠然な感覚的なものといえるが、思春期以降の恋愛は相手を性的に意識したり社会的な利害関係を求めたりと自我の発達と共に生々しいものへと変遷していく。また、幼少の頃はただ泣いて悲しむしかなかった引っ越し等家庭の事情などについても、自我の成長と共に現状を打開出来ないか具体的な行動を起こしてみたり考えを巡らせるようになる(→そしてどうすることもできない子供の無力さ知る)。そういった過程の中で家庭ごとの事情の違いや自分の周りの世界を知っていき相対的に人格が形成されていく。感覚的だった子供時代から理性的な大人へと成長していく。

思春期初期というのは原体験とか初期衝動とか行動原理とかそういうものと出会う時期だ。本映画の公開にあたって岩井俊二が書き下ろした、本作のプロトタイプ的な小説のタイトルは『少年たちは花火を横から見たかった』だ。

ちっちゃな子どもにとって、別れは死別に近いほどつらく苦しいものだった。拾った子猫が死んだ時は涙が止まらなかった。なずなもぼくももっと幼い子どもだったら、転校なんて嫌だ嫌だと駄々をこね、おいおい泣いたことだろう。そんな感受性が次第に失われて大人というものになるのだとしたら、あの夏は、ちょうどそのはじまりの季節だったのかもしれない。

*1*2

本作が思春期以前の話なら泣いて悲しんで駄々を捏ねるだけで終わった。しかし彼らは着実に大人に近づいていて、まだまだ不定格な自分の感情に折り合いをつけながら大人の世界に対抗しようとする。

思春期のはじまりの不定格さは安曇祐介によく現れていた。個人差があるにせよこれくらいの年代の人格というものは交友関係の中で役割的に発生するもので、明確な強い自我を持つ子供は少ない。

なずなと花火大会の約束をした祐介はなずなへの恋愛感情と友達との関係を天秤に掛けた結果、なずなとの約束をすっぽかすだけでなくあんなブス好きなわけないだろと誤魔化すので精一杯だった。しかし違う世界線の祐介はなずなと抜け駆けした典道に対して本気で怒るという真逆の反応を見せる。

そういった不定格さこそ中学一年生であるといえるのに、そういう感情を忘れてしまった人が祐介がチグハグ過ぎてムカつくなどと講釈を垂れる。本作では不定格さを抱えながらもなずなと逃げる道を選び取った典道こそヒーローになりえた。

身長差が気になって仕方なかったという意見も見たが本作が思春期初期を扱っていることはキービジュアルにも現れている。

 

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身長差を強調した特徴的なキービジュアル

典道は下手海側 なずなは上手線路側

二人の力関係や別れが示唆されている

(C)2017「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会

成長期は一般的に女子の方が先に来る。

小学校高学年〜中学一年生くらいの時期は精神的にも体格的にも女子の方が成熟していて男子からするととても大人びて見える。及川なずなはそういうイメージを強調し具現化したキャラクターであり、低身長で童顔の典道との対比が際立つ。

なずなの場合複雑な家庭事情により周囲より早く大人に近づかなければならなかったので、その大人びたミステリアスさに加え口紅を纏った姿は神々しくさえあり、中学一年生の憧れの対象としてこの上ない魅力を放つ。

しかしそれほど大きな憧れに見えた及川なずなも母親の前ではただ助けを求めるだけの無力な子供に過ぎなかった。

典道ははじめて世界の大きさを知る。

 

抗えなさと空想世界

「抗えなさ」という要素は「思春期の逃避行」に自動的に付随する要素であるが酷評意見の多くが理解されてないので説明する。

物語の進行と共になずなと典道の逃避行が始まる。しかしお金、知識、法律、身体能力… 様々な観点から抵抗を試みても中学生は親の離婚や転校といった大人の都合や社会のシステムから逃れることは出来ない。なずなはどうすることも出来ないことを理解した上でそれでも抗いたいという意志を他の誰かに賭けることしか出来なかった。

(ナズナという植物の名前の由来の一つが、夏になると枯れること、つまり夏無)(ナズナ花言葉「あなたに私のすべてを捧げます」)

この「抗えなさ」という物語上の仕掛けを理解していない人ほど話についていけなくなったと思われる。正直どこからどこまでが空想かなんて舞台装置の問題はこの物語を読み解く上でさして必要ないというかタイムリープ自体全て空想といって問題ないだろう。

この映画の原案といえるTVドラマ版『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』が放映された番組枠は「if もしもシリーズ」というもしもの世界の人間ドラマを取り扱ったものであり、もしも部分の謎解きというSF的な仕掛けに関しては取り合わず、あくまでもそういう舞台設定の中での人間ドラマを描いたものだった。

シャフト特有の過剰演出によって謎解き要素を煽っていた感は否めないしおそらく観客のほとんどが『君の名は。』の様なダイナミックなストーリーやどんでん返しを期待していたのだろう。実際そういったマーケティングをしてしまっていた感はある。

ライト層が映画や物語に求めているものは登場人物の繊細な感情の揺れ動き、みたいなものではなくダイナミックな映像やどんでん返しに代表される物語的な面白さだろうから、そこを履き違えてしまったのは製作陣の失敗だったと思う。

反時計回りの風力発電機…決してカップインしないゴルフボール…「抗えなさ」が確定しているシチュエーションの中タイムリープを重ねるごとに空想の度合いが増していく。TVドラマ版の監督であり原作小説の著者である岩井俊二はこの物語のモチーフが『銀河鉄道の夜』であると述べている。

銀河鉄道の夜』はカンパネルラの死という逃れられない事実が確定している空想的な世界の中で目的を見出そうとする物語だ。「抗えなさ」が確定している世界だからこそ、それでも抗おうとする少年少女唯一の抵抗手段である空想世界の煌めきがタイムリープを重ねるにつれてより美しくなっていきそ、その美しさがどうしようもなく悲しい。

空想の電車に乗り込んだ二人は夢を語り、愛を歌う。ここにエモを見出さずに何を感じ取るというのか?

TVドラマ版の小学生のなずなと典道は電車には乗り込まず二人の逃避行は未遂のまま終わってしまうのだが、意図的に年齢設定を上げた本作では二人の逃避行は空想的な世界で成就され、銀河鉄道の夜やシンデレラといった空想度を強調したアニメならではの演出により意義のあるリメイクになったと思っている。ここの評価の捉え方が決定的な賛否の分かれ目だろう。

 

 

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曖昧な心を とかして繋いだ
この夜が続いて欲しかった

パッと花火が夜に咲いた

夜に咲いて 静かに消えた

離さないで もう少しだけ

もう少しだけ このままで

 

*3

繰り返すがこの物語ははじめから添い遂げることは目的にしていない。ただこの夜(空想)が続いて欲しかっただけ。それでも前に進むことを誓い合った少年少女は時計の針を戻さなくてはならない。それはあくまで空想的な出来事だったのかもしれないがその時抱いた感情はこれからの二人の原動力となるだろう。

こうして空想世界から一歩踏み出した現実世界に戻った二人の姿は提示されず、彼らがこれから何を選び取るかは観客に委ねられる。同級生たちよりほんの少し大人に近づいたなずなと典道の一夏の物語。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』はそういった作品であった。

 

閑話休題 テーマを語るな

ここまで『打ち上げ花火~』のテーマを語ってきたわけだけど頼まれてもないのにこの映画のテーマはこれこれこうでここにエモを見出してなどと説明するのはあまり褒められた行為ではなく映画や多くの作品はそれぞれ個人が抱いた解釈に委ねられるべきものであります。

しかし『打ち上げ花火~』に関してはあまりにも何も持ち帰ることが出来なかった人間が多くそのまま最低の映像体験として嘲笑の対象にされるくらいなら説明をつらつらと重ねて少しでも何か感じ取ってもらえることのほうが何万倍も意義があると思うので書いているわけ。

 

分かり合えなさが共有される危うさについて

最後になるがここからが本題。今この作品に対する酷評がネット上で晒され共有されている。なぜそういう事態になったかというと酷評者のほとんどが作品テーマを理解出来なかった(しようともしなかった)からである。

作品のテーマや演出の意図が理解できなかった人が吐き出す感想というものは、作画やキャストの演技や説明の足りなさや感情移入がどうとかいう印象論や感情論になることがほとんどだ。印象しか語り口がないからとりあえず気に食わなかったものをこき下ろす。

そしてそういう印象論や感情論は自分語りにしかならない。それは映画を理解できなかった自分への弁論であって映画のことを語っているわけではない。

理解出来なかった自分を認めたくなくて同調圧力に訴えかけるだなんて、なかなか出来ることじゃあないよ(笑)

過激な言葉遣いになってしまったが作品テーマを理解出来なかったことを非難しているわけではない。伊藤計劃氏が仰られた通り”映画を観て得られるものは、その人の感性や知的レベルに合ったものでしかない”のでそれを責めるのは酷だ。意味が分からなかったから楽しめなかったという意見は至極真っ当である。しかしそういった自分の理解の及ばなさを棚に上げた上で製作者や演者に対して文句や誹謗中傷を垂れ、分からなかったもの同士嘲笑し合い己の自尊心を保つという行為が最悪だといっているだけだ。

これは映画感想の話に限らず、人に共有したい強い感情こそ理路整然と客観視に努めなければならない。一個人の自意識に社会的な正当性などないのだからこそ、自分の考えを客観的に整理して多くの人や社会に対して伝わる様に努力しなければならないよ、と言うのはそんなに厳しいことだろうか。

身内コミュニティーの中悪口で盛り上がったりするのはどこにでもある人間の営みであるけれど、わざわざ映画レビューサイト等に肥大した自意識の自分語りを書き込み社会に投げつける人間の多さたるや。

「ストーリーの意味は分からず演者の演技は下手に感じキャラクターにも何も魅力を感じなかった、私にとって0点」なんかは立派な意見だし感想だ。その人が魅力を感じなかったのは客観的事実である。自分の意見を述べるとき、あくまで自分の意見ですがと前置きすることの大切さたるや。

ただ、自分が理解できないものを見せられた多くの人はどうしても、

「こんな意味不明なもの作った奴も楽しめる奴も頭おかしい」

「こんな作品に感情移入出来るはずがない」

などと大きな主語を用いて感情的で否定的な言葉を並べて怒ってしまうわけだし、それが作り手や演者や楽しめた人たちへの人格否定にまで及んだりするから手がつけられない。

他者の心情を知る術を持たない私たちはせめてもの相互理解に努めようと自分の考えや相手の考えを推し量りながら相互理解に努めようとする。

しかし、自分の中の分からなさを解釈せずそのまま他者や社会に投げつけるのは思考停止であり相互理解からもっとも遠い行為である。

自分の中の分からなさの責任を他者や社会に押し付けるな。それは分かり合えなさの共有でしかない。

 

さらに『打ち上げ花火~』のケースではそういう分かり合えなさが並べられたスクショを無責任な第三者まで巻き込み拡散共有され嘲笑される事態に陥っていたので地獄絵図かと思い笑ってしまった。

私たちは分かり合えないんだということがインスタントに共有される社会など信じたくないしそういうものに警鐘を鳴らしたかったのが本稿を書こうと思った動機である。

作品解釈は人それぞれ無数に存在するその人の写し鏡だ。願わくば作品などを通してそれぞれが自分の解釈を語り何が好きで何が嫌いか。皆違うがそれぞれの考えや事情を抱えて生きているんだという相互理解の助けになるような社会になって欲しいと思う。

 

感情をアウトプットする営み

少年たちは花火を横から見たかった』のあとがきで岩井俊二は自身の創作衝動(初期衝動)は中学生くらいの時代の言葉にならない感情や懐かしさを再現すること、そのために小説を書いたり映画を作ったり音楽を作ったりしていると語ってた。強いクリエイターたちはそういった創作衝動を抱えながら自身の感情や感性をアウトプットし創作を続けている。

個人的な話をすると一年くらい前までは私人がTwitterやらブログをやる意義がよく分からなかった。一個人のさして物語性とは無縁の感性を社会に投げつける行為に何の意味があるのかよく分からなかった。

しかし素晴らしい作品や解釈に触れる機会が増え、少しずつ自分なりの言葉をアウトプットする機会を重ねるにつれ自ずと伝えたい言葉が増えていった。同じ作品を見たとしてもその時期によって解釈は変わっていくしそういった感覚の変化を客観視してアウトプットすることが自己深化となり自身の人間的な成長に繋がっていると思えるようになってきた。

本稿を書き始めたのは無責任な批判への憤りが動機だったけど改めて本作に対するアウトプットを重ねたことにより本当に好きな作品だなぁと思ったし、作品理解度をさらに高めることが出来たんじゃないかという実感があります。

そんなこんなで最後になりますが本作について言いたいことは、

ありえんくらいテーマもモチーフも好き、大好き。

自分の好きなものを自分の好きな言葉で語るのってとても素敵なことですよ。だから自分の感性をアウトプットする営みをやっていきましょう。

*1:少年たちは花火を横から見たかった角川つばさ文庫

*2:岩井 俊二、 永地 著

*3: 打上花火/DAOKO×米津玄師(作詞・作曲 米津玄師/Produced by 米津玄師)

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』 〜作品が自分の一部になるということ

予告編になんとなく惹かれ見たケネス・ロナーガン監督作品『マンチェスター・バイ・ザ・シー』があまりにも素晴らしく、触れてから数週間経ったにも関わらず余韻が強いのでここでひとつ自分のためにまとめてみる。

核心に迫るネタバレはなしで個人的な見解を述べていく。

 

(すごく簡単なあらすじ)

ボストン郊外に住む主人公(リー)は兄の死をきっかけに故郷のマンチェスターバイザシ―(アメリカ東海岸の町)に戻り兄の息子(パトリック)や周囲との関係性の中に自分自身そして過去にこの町で起きた因縁と向き合っていく……

 

あらすじの通り地味で静かな話だ。

映画的な語り口は一切なくカメラは主人公リーをとりまく状況をただ傍観する様に静かに映していくいくだけ。

自分は演出に関してあまり明るくないがそれでも文脈と映像で語るという作業が徹底されている、とても繊細な作品だと感じた。

リーの行く先々ごとに思いを馳せるように自然に挿入される回想の数々、リーの焦燥感が高まり視野が狭くなっている場面では主観視点に切り替わったり、食事場面でわかる心の距離、同じ意味合いの台詞でも人やシチュエーションでまったく違った意味が生じるユーモア等々きめ細かい。

特に印象的なのが上手下手(左右)の使い方でリーが故郷で経験した因縁が起きた日の回想で事件が起こるまでは横から平面的なアングルで撮り続けているが、いよいよ決定的な場面に遭遇したとき映像は忽ち立体的となりリーは奥に進んでいく。そしてその現実のあまりの痛みにただ茫然と立ち尽くしその深淵に取り残されてしまうのだ…

パトリックとの交流や周囲との関係、全てが繊細な感情に包まれていて派手な物語性は殆どなくとても重たい話だが、この作品でしか伝えられない美しさがあった。

特に最後の2シーンのリーとパトリックの画にこの映画の意味が詰まっているといっても過言ではないと思う。画が語るとはああいうこと。

 

パンフレットの監督のインタビューを読むに、キャラクターに寄り添った脚本作りを強く意識されているのがわかる。

「気に入ったアイデアがあったらキャラクターの置かれた状況を考える。そして、そのキャラクターの状況からその周囲に向かって、物語世界を構築していく。」

*1

 

監督が取り扱っているのは物語というよりキャラクターそのものだ。

キャラクターの"在り方"や"生きざま"がそのまま物語となる。

僕は映画を見るようになってまだ浅いので最近の作品しか挙げられないが、『聲の形』や『ムーンライト』、グザヴィエ・ドラン作品のようにキャラクター自身とその繊細な感情や文脈を取り扱った作品にこそ強い感銘を受けている。

本作を見るまで今年のナンバーワンに推していた『SING/シング』で一番好きな場面は所謂  "洗車"のシーンで、あれは言葉やドラマチックな展開ではなく主人公のひたむきな生きざまそのものが友人のニートを突き動かすだけの力になった。

監督を絶大に信頼できると思う大きな点がもう一つ、彼の映画に対するスタンスだ。

「映画作りで僕が好きなのは、僕自身のプライベートな想像力のもと生まれた物語が、他人の感情の所有物となるというプロセスだ。(中略)僕の愛する映画が、僕の一部になったように。」

*2

いや、もうほんと信頼というか創作に対するスタンスとして完璧過ぎて…

少なくとも本作や上に挙げた作品たちをこれからも愛していきたいと思ってるし、今このようにブログに思いを書き綴っていることこそ作品を自分の一部にしていくための一つの作業になっているんだと思う。

 

ミニシアター中心の映画だけど是非各々がこの作品を見届けそれぞれの大切な一部になったらいいなと思う。 

 

 

*1:ケネス・ロナーガン・劇場パンフレット

*2:ケネス・ロナーガン・劇場パンフレット